まさに日露戦争の最中ではないか。
その後、父親が61歳で他界と書いてあるので実父は江戸時代の生まれか。
私たちがよく知る笠智衆さんの父が江戸期の生まれと聞くと、江戸時代はまだ直ぐそこではないかという錯覚さえ覚える。
殆ど総ての小津作品に出演し黒澤の志村、小津の笠として世界的にも有名な俳優になった。
出演作など見ると実に膨大なもので有名になるに従い、小津、松竹作品以外にも頻繁に出演するようになった。
私の記憶によく残る作品は寅さんを除けば『日本のいちばん長い日』ではないかと思う。
陸相退室のあとで首相はこのように言う。
「阿南君は暇乞いに来たんだね」
そう、この後、陸相は自決。
しかし失礼ながら一見、不器用そうに見える笠さんだが多くの監督に可愛がれ世に多くの名作を残された。
この本を読んでいると実に感慨深いものがある。
昭和30年代に活躍された俳優さんたち全員が今はもう鬼籍に入られていることで笠さん曰く。
「昭和3年の『若人の夢』に出演してから、昭和の間、ずっと俳優をやってきたが短かった。本当に、あっという間でした」
因みに笠さんは昭和38年12月12日、病床で亡くなられた小津監督の最期にも立ち会われたそうだ。
この日は小津さんの60歳の誕生日でもあった。
翌年に自動車事故で急死した佐田啓二とは直前まで一緒にゴルフをしていた。
それにしてもである。
なかなかOKを出さず駄目押しする小津監督。
気に入らないと怒鳴りまくる黒澤監督。
私なら完全に胃潰瘍になってしまうが。
最後に笠さんは小津監督の演出法をこのように語っている。
「釣りのようでした。俳優がエサにかかるまで、根気よくいつまでも待つ。うまくできるまでは、けっして動かない。大声を出して魚を逃がしてはたまらんので、怒鳴るような馬鹿なことはせん」
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