だが、肝心の『リットン報告書』を読んでないので調べてみると2014年3月に『全文 リットン報告書【新装版】』なるものが出版されている。
英語と仏語からなる膨大なものでかなり読み応えがありそうだ。
調査団の目的は満州国は民衆の自発的運動によって成立したものかどうか?
裏を返せば関東軍の謀略ではないのかということになる。
国家承認を巡って日本と国際連盟が対立する構図だが、その経緯を調べるために派遣されたのがリットン卿(英)を団長とする5人のメンバー。
リットン卿以外の人員は。
アンリ・クローデル陸軍中将(仏)
ヴィアーノ伯爵(伊)
マッコイ陸軍少将(米)
ハインリッヒ・シュネー博士(独)
この『見聞記』は具体的な5人の会議内容には一切触れず、それぞれの国土、民衆、人物、習慣なでがシュネー博士の目で観察されている。
団員が来日した頃は時あたかも血盟団事件と相前後する。
移動地域によって国民党軍、満州国警察、関東軍と沿線に厳重な警備がなければ安全を保てず流軍と言われる盗賊や匪賊の鉄道爆破、共産軍の脅しと悪い噂を聞きながらの調査だったがシュネー博士は各地での見聞を克明に記している。
中でも博士を驚かせたのは上海からのニュース。
われわれが奉天を出発しようとした数日前、上海から恐ろしい暗殺事件という身の毛もよだつようなニュースが入っていきた。
冒頭、一瞬だけに映る壇上の人を見てほしい。
マイクの前に立つのが白川大将、奥から重光、野村となる。
河端会長は即死、白川大将は翌月死去、野村中将は隻眼、重光公使は隻脚になった。
しかし、映像を見ると当日、アメリカ兵も来ていたことを初めて知った。
博士は満州の実情を鋭く見抜いていて中国人独自の政府の再建とは見なさず、殆ど例外なく敵対感情を中国人は持っていたと結論付けている。
さらに真の実力者は日本人官吏と見ている点も流石に団員に選ばれただけのことはある。
内田外相は満州国は民衆の自発的運動によって成立したものと力説していること、日本に於いては陸軍が非常に強力な権力を持っていることなど指摘しているが注目すべきは以下の記述。
西欧諸国と比較して、真の実権を誰が握っていのかが容易に分からない。
確かに日本では陸軍が大きな政治的な権力を持ち、荒木陸相が陸軍の理想を代弁する有力な人物とされていることは疑う余地もない。
そうはいっても、陸軍の理想を推進し、これを実行に移す原動力がどこにあるかは判然としない。
これは鋭い指摘だろう!
戦前の日本の権力構造は日本人でも分からないと言われるほど複雑なのだ。
ともあれ報告書は北京で仕上げ、1932年9月4日、5人全員が署名し国際連盟理事会へ最短コースを通り提出された。
翌年、連盟は勧告案を採択。
・日本の軍事行動は自衛行動とは認めない。
・この地域より日本軍が撤退することを求める。
32年10月1日、ジュネーブ、東京、北京で一斉に報告書は公表され、これに基づいて連盟は本格討議に入り、33年2月24日の総会でリットン報告書を全面的に採用し結論付けた。
「満州国の承認を一切排除するものなり」
勧告案は42対1で採択され、ここに日本は連盟を脱退し孤立化の道を進み大東亜戦争へと向かって行くことになる。
破滅への道は、この昭和3年から始まったとしても、日本は何をどう選択していけば良かったのか私にはいくら読んでも分からない。
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