佐伯祐三の晩年 衝撃の真実 白矢勝一

 
本書は佐伯祐三の伝記本ではなく、歿後、佐伯と共にフランスで過ごした友人たちが佐伯の死をどう書き残したかを照合し、何が真実なのかを追及した眼科医の論文のような本になっている。
『衝撃の真実』なんていう陳腐なタイトルは嫌いだが、いったい佐伯祐三の晩年に何か謎でもあるのか?
あるとしたら、これは読まなければとつい触手が動いた。
主題はあくまでも晩年、つまり死の年、昭和3年6月21に頃から始まる。
証言者として採り上げられている人物は以下の8人。
夫人を除き全員が画家。
 
・山田新一
・大橋了介
・伊藤廉
・山口長男
・佐伯米子
・井原卯三郎
 
佐伯の死は第二次渡仏後のことだが、一か月に及ぶ取材旅行、雨に濡れながら街頭での写生など、かなり無理が祟った上の喀血でリュ・ド・ヴァンヴという所の宿で病臥することになったとあるが、第一の問題は病臥中に脱走したのは正確に何日の何時頃かと著者は必要に追っている。
各証言者が後に書いたものを総合してみると微妙に食い違い記憶の曖昧さを指摘するかのように表も作成されているが、はっきりしていることは脱走は6月20日から21日にかけて。
 
次に発見場所だがクラマールの森となっているが、何故、クラマールの森へ向かったか、以後、誰に発見され捜索願いが出されていた警察に保護され家族に連絡が来たのは何時か。
 
そして帰宅時間はとなるのだが、その間、佐伯の首についていた索溝、つまり自殺を謀ったのではないかという説を巡っても索溝痕があったという人と見てないという意見が錯綜してよく分からない。
だが精神科医の武井健一さんという方が日本病跡学会で画期的な資料を発表。
佐伯が入所したエブラール精神病院の文書保管室に診断書の原本が保管されていた。
20日からの経緯を整理すると以下のようになる。
 
20日早朝に失踪、同日発見され再逃亡を図る。
その結果、米子は20日夜、佐伯を精神病院に入れることを決心。
21日、警視庁特別医務室副主任医師兼法定鑑定人に収容理由鑑定書を書いてもらう。
友人らが病院を捜し23日、エブラール病院へ入院。
入院証明書にエブラール病院の精神科医師G・プティは次のように記している。
 
佐伯祐三氏は、頻回の不安発作発作とピティアティスムを有する言語、運動性興奮の発作を伴う多様性症候群を呈し、自殺ないし自傷企図を伴う衝動的で激しく混乱した反応を繰り返している。前頚部に縊死を試みた痕跡が、また両上肢には交跡が数箇所あり。身体症状は芳しからず、有熱で、間欠性の呼吸困難あり、痩せており、消化管に舌苔状態を認める。進行性肺結核の可能性あり。要注意。
 
つまり、医師の診断書により自殺を試みたことが書かれている。
木からロープを垂らし首を吊ったが枝が折れたらしい。
入院後の治療方法に付いては。
 
病院での主な治療方法は入浴とシャワーのみであった。
 
これはどういうことなのだろうか。
山田新一の証言によると。
 
当時、東大病院でも一日入院費が高くて5円、それがフランスでは9円もするということで安い病院を探した結果、エブラール精神病院に決まったらしいが、山田たちは自殺未遂をした佐伯を面倒見切れず強引に入院させたようにも取れる記述になっている。
だが、絵も売れ金のある佐伯は近くの市立病院で人種差別により入院を拒否されたという人もいる。
 
さらに佐伯は日本食しか喉を通らず神経的に参っている状態でのフランス料理は無理で充分な栄養と休養が摂れなかった。
従って佐伯は絶食して死んだように書かれているがよく分からない。
ただ、棺の中の佐伯の写真が残されているが、それを見ると眼孔が酷く落ち込みまるで骸骨のように痩せている。
 
佐伯の死亡発見時は8月16日11時10分前。
誰看取るものなく逝ったらしい。
飽く迄も発見時でフランスでは死亡については危篤電報で知らせるのが通例なのか、死亡時、監視人、看護人共に病室に居なかった。
 
妻米子が佐伯の死に立ち会っていなかったのは6歳になる一人娘の弥智子が結核喉頭炎の上に髄膜炎を併発して危篤状態だったためだが親子同居生活で罹患したと思われる。
弥智子は父を追うように一ヵ月後に亡くなった。
夫と娘を亡くし独り帰国した夫人の気持ちは如何ばかりであったであろう。
巻末に著者はこう書き終えている。
 
芸術家の生涯とは兎角波乱万丈に満ちたものであるが、僅か三十余年の生涯を創造に燃焼し尽くした佐伯のそれを見るにつけ、今更ながらにその感慨を持つものである。
 
人の一生とは初めから決められた長さのローソクを持って生まれ出るようなものなのであろうか。
例え長いローソクを持って生まれ出ようが青春を湯水のように無駄に使い果たし、学ぶに値することを身に付けず余生はただ漫然と日々を過ごし幼児帰りのようにして灯が消えて行く人も居れば、所詮、短いローソクと知りながら日々、残された芯と競争するかのように激越に燃焼していく人生を選ぶ人も居る。
 
短命は芸術家の定めとは言わないが、譬え短命に終わったとしても作品は普遍的な命を宿し我々の感性を痛く刺激する。
でなくては命と引き換えに芸術に取り組んだ意味も空しい。
後世に生きる我々の鑑賞力が芸術に息吹を与え、作者に名声を齎す。
芸術はいつの時代と雖も鑑賞することが死者への弔いになるのだ。
 

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