「九軍神」の話しを聞いたことがあるだろうか。
日米開戦の先陣を切って乗り込んだ5隻の特殊潜航艇。
真珠湾近郊で9人が戦死、それが「九軍神」として戦時中、高らかに祭り上げられたが潜航艇は2人乗り。
あとの一人はどうなったのか?
その人物は捕虜第一号となった酒巻和男少尉。
漂流中に稲垣とはぐれ、自身は失神状態で海岸に漂着していた所をアメリカ兵に発見され捕虜になった。
取り調べ官に対し、
「殺してください」
「ノー、殺さない」
の押し問答を繰り返し、暴れて自ら壁に頭を打ちつけたが死ねなかった。
故に酒巻少尉は軍神にはなれなかったというわけだ。
本書を古書店で見た時、不時着とは変だがてっきり酒巻少尉の話しかと思って買ったのだが、まったくの見当違い。
今回初めてその事実を知り確かに漂流ではなく不時着の話しだった。
因みに戦後、酒巻少尉はこのような本を刊行しているが、おそらく復刊されぬまま今日に至り現在Amazon価格5,000円、新潮社から発売されているので文庫化されないのは何故か不思議だ。
さて、本書だが主役は予科練出身海軍一等飛行兵曹西開地重徳22歳という人物。
その母艦飛龍から単座機に乗って飛び立った1人が西開地重徳一等飛行兵曹。
西開地は熊野澄夫大尉が指揮する第二次攻撃隊の一員。
いよいよその時、「搭乗員整列」の号令。
艦長、加来止男大佐の訓辞。
まさに日本海海戦以来の、皇国の興廃此一戦に在りだ。戦果は、一に諸子の双肩にかかっておる。健闘を祈るとともに、奇襲の成功を信じて疑わぬ。これまでの猛訓練の成果を十二分に発揮するように。
以下は西開地の絶筆。
小輩は今迄何の目的あって苦労して腕を錬磨してきたか、云うまでもなく今日あるを希って腕を作って来た。今迄小輩を疑って来た者もあると思ふ。
然し天のみ小輩の志を知って居て呉れたまうと信ず。未練更に無し。父母によろしく御伝へ乞ふ。
第二次攻撃隊全167機、発進は午前6時半過ぎ。
オアフ島上空、隊長機から「ト、ト、ト・・・」全軍突撃セヨ、との電信命令が下る。
西開地機は攻撃終了後、エンジンの不調を感じ、このままでは母艦帰投はおろか、集合地点にさえ辿り着けないと悟り飯田房太大尉の言葉を思い出す。
「もし敵基地上空で燃料タンクをやられ、帰投の燃料がなくなったら、一番効果的な目標を選び、迷わず自爆せよ」
その、飯田隊長機から燃料漏れの尾が引いているのが見えたと思ったら翼を大きく左右に振って機首を急展開、敵兵器庫目掛けて一直線に突っ込んで行った。
自分も隊長機に習って敵基地に突っ込むか判断に迷った結果、艦隊司令官淵田美津男中佐の支持に従うことにした。
二十四時間以内に、わが潜水艦が救助に向かうから、必ず海岸近くで、海面を注視し、待機せよ。
問題はここからだ。
ニイハウ島の所有主はロビンソンといって個人の所有地になっている。
現場に駆け付けた島の支配人格のハラダは、
「君、いったいどうしたんですか、何が始まったんですか」
と尋問する。
言葉の解らない島民は飛行機が日本のものだと知ると騒ぎ出し、
「殺せ、殺せ」の大合唱。
危険を感じたハラダはとにかく自宅に来るようにと促すが西開地は応じない。
必ず潜水艦が自分を迎えに来るはずだと。
その頃、西開地が待ち望んでいた潜水艦イ74潜は不時着機救助の任を解かれ新任務につき、結局、西開地は浜辺で48時間待ち続けることに。
時間が経つにつれ動揺の輪は広がり、島民の不安は募るばかり。
西開地はハワイ全島を近々日本が占領することを信じ、それまでに奪われた拳銃と書類を取戻し自決する事を覚悟。
事、ここに及んでハラダは最後まで西開地を庇い、別荘にあった猟銃と回転式拳銃を持って住民キャンプを襲い、書類と拳銃を奪い返すつもりで妻に別れを告げ家を出た。
それが、妻ウメノ・アイリーンにとって夫と西開地を見た最後になった。
はっきりした死の真相は分からないが1941年12月13日、全島民を敵にまわした二人だけの戦争は終わり、ハラダと西開地は折り重なるようにして倒れていた。
西開地がウメノに託した遺言は以下の通り。
と書いたものを渡し
「日本軍がこの島にやって来たら、これを司令官に渡してください」
しかし、日本軍司令官がやって来ることはなく西開地一等飛行兵曹の戦いは1週間で終わってしまった。
日本海軍が嘘をつくはずがないと硬く信じていた救助。
独り、見捨てられるようにして死んでいった西開地。
深刻に思いつめていたであろう1週間。
思うに、あの日、母艦を飛び立った飛行兵たちは低空飛行で魚雷を発進するため地上からの機銃掃射に狙われやすい。
身震いするほどの興奮もさることながら決死の覚悟がないと、とてもじゃないがこんなことは出来ない。
知られざる開戦の一ページだった。
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