愛に恋

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富士日記 (上・中・下巻) 武田百合子

 
昭和39年7月から41年9月まで。
当時、私は小学生だけあって全く記憶にないがリアルタイムで書かれているだけに生々しい。
 
かなり記憶力がいいのか、一日の買い物の値段から朝、昼、晩と何を食したかを几帳面に記録している。
富士の別荘での出来事を中心に書いているのだが、まあしかし車の修理と家の補修の記事が多いこと。
やや開けっ広げな性格、車の運転トラブルなど、相手構わず「馬鹿野郎」呼ばわりしているところなど面白い性格。
 
 
昭和41年10月から44年6月まで。
愛犬ポコの死にはこんな言葉が。
 
「犬は飼主の業を背負って死んでくれる」
 
なるほど、そういうものか。
またこんな言葉も光っていた。
 
「山椒の芽を摘むときは黙って摘む。人としゃべったり、歌を歌ったり、声をたてたりしてはいけない」
 
淡々として日々の暮らしの中にもユーモラスな感覚を覗かせる文章が時に苦笑する。
酒も煙草も呑むようだが、天真爛漫な性格、料理メニューも豊富で、意外とこういう人と生活を共にするのも楽しいのではないかとさえ思えてくる。
ただ夫の酒量が気になる。
 
 
夫泰淳に富士山荘に来ている時だけでも日記を書いたらどうかと言われて筆不精ながら書き始めたものだが、夫の死の直前まで書き続けることに。
最後は昭和51年9月21日で、調べてみると泰淳の死は翌10月5日。
 
最愛の夫を亡くした悲しみまでは書かなかったが、後半の心理描写からして凡その事は察しがつく。
それにしてもかなり感性豊かな人で、細やかな身辺雑居の記述、動植物の生と死、目にした事、耳にした事の描写は時に可笑しい。
うんこと便所の話しが多いことは特筆。
 
本来、公開するために書かれたものではないだけに、かなり明け透けな部分があるのはそのためか。
それが却ってこの作品を魅力的なものにしているのだろう。
本人も後世、こんなに読み継がれるものとは思っていなかっただろに、武田泰淳という作家の私生活を活写しているところも貴重だ。
 
泰淳の死を前提に読み進むというのはかなり複雑な気持ちだったが死別を如何に乗り切ったのかというところも少し知りたかった。
いずれにしても夫の死があってこそ、日の目を見ることになった日記だ。
 

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