随分と長い時間を要してしまった。
偉大な芸術家の心の奥底を覗くというのは大変だ。
小津さんという人は本当はかなり淋しがりやで孤独を嫌った人だったのだろう。
しかし仕事に関しては徹頭徹尾、プロフェッショナルに徹する。
大正時代、赤木桁平という人が遊蕩文学の撲滅を叫んでいた時期があったが小津さんはこんなことを書いている。
「赤木桁平ならずとも遊蕩文学はぼくめつせよ」
激しい調子で男女の情欲の世界を唾棄しているが、どうりで小津作品には、あまり男女の憎愛ものがないのはこの所為か。
小津芸術が求めたものは主に親子の情愛。
小津さんほど映画に冠婚葬祭を持ち込んだ人も稀有で、娘や親族の婚期の話しが多いような印象を受けるが。
同時に小津さん本人が抱える寂寥感なり、ものの哀れという事を描きたかったに違いない。
仕事がない時の小津さんの生活は!
「終日在宅、入浴朝酒、昼寝、醒めれば晩酌、就床、枕辺雑書乱読」
だが本人は。
「ただみれば、なんの苦もなき水鳥の、足にたゆまぬ、我がおもいかな」
と言っても、頭の中はいつも働いていると言っている。
日記全体を通して言えるのは、とにかく酒豪、脚本を書き出しても連日押し寄せて来る客相手に飲めや歌えの大騒ぎ。
賑やかなことが大好きで人を離さない。
故に遅々と進まる脚本のことが始終出てくる。
それでも小津作品は53作あり、私などは無声映画時代の作品は1本も観たことがない。
小津さんの生活信条は。
「なんでもないことは流行に従う。重大なことは道徳に従う。
芸術のことは自分に従う。どうにもならないことはどうにもならないんだ」
ということらしい。
また笠智衆さんもこんな事を言っている。
「映画は総合芸術と言いますけどね、先生の作品は個人芸術ですよ」
とにかくアドリブを嫌い、箸の上げ下ろし、酌の仕方や飲み方まで事細かく指示される。
映画に生き映画に死んだ小津さんだったが、自分の余命に対して察しがついていたにも関わらず終生、酒を断つことが出来なかった。
これも生涯独身で通した哀しさ故か、憐れさを誘う最期であった。
今後、小津作品を観る時は、芸術への拘りというものをどれだけ捕えきれるかだが、どうも私には心許ない。
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