阪東妻三郎という人は俳優がプロダクションを作った第一号らしいが、とにかく大正末期から昭和初期の日本映画史というのは勉強不足で読んでも良く解らない。
理由は当時の映画関係者を殆ど知らないためばかりでなく、変遷を繰り返す会社の歴史がまず覚えきれない。
名匠、巨匠と言われた監督は、その名前ぐらいしか知らないので昭和初期の活動写真の歴史に関して殆ど語れない。
ただ、阪妻と言えば日本映画史上最大のスターだけに、脚本から役者の人選に至って、気に入らないと撮影には出て来なかったらしい。
仕方なく、監督や脚本家が折れるぐらい、その権勢は凄かったようだ。
金使いも派手で祇園街の芸者を買い占めてみせたというエピソードもある。
それを補っているのが三船版の『無法松の一生』。
また、遺作となった『あばれ獅子』は七割ほど出来上がっていたらしいが阪妻の急死により未完に終わったとあるが、今日、その作品は観ることが出来るのであろうか。
彼の死は昭和28年7月7日、七夕の日で満51歳。
いずれにしても、もう少し映画史を勉強しないと理解するには至らない。
ブログ村・参加しています。