居眠り狂志郎の遅読の薦め

未だ休読日に至らず

悲劇の9日女王 ジェーン・グレイ  桐生操


近年、日本でも俄かに脚光を浴びるようになって来た一枚の絵。
それが、この本の表紙しになっている。
 
『レディ・ジェーン・グレイの処刑』
 
以前から気になっていた絵画だが、最近、この絵は実在の物語を主題に書かれていると知ってインフルエンザも吹っ飛ぶような突風が眼前を通過した。
もう、それ以来、この絵の虜。
早速、Amazonで関連本は無いかと探すと、あったあった、出版年月日を見るに。
2014年1月31日、果て、まだ在庫はあるのかと取り敢えず紀伊國屋へ電話を入れる。
 
詳細を説明し待つこと暫し。
帰って来た女店員の返答に愕然。
 
「当店では既に品切れで、出版社の方へ問い合わせた結果、此の先再販の予定はないそうです」
 
ええ、もう絶版!
こんなことで諦めてたまるか、すかさず蔦屋書店にも捜査の一報を入れる。
するとまたしても泣いてたまるかと愕然とする営業言葉。
ええ~い、負けてなるものかと最後の手段丸善ジュンク堂に掛け合う。
ここでは他店以上に待たされ、挙句、以下同訓のような返答、しかし、従業員は付け加えた。
 
「全国の支店にも問い合わせましたが全店品切れになっております」
 
ということは何か、日本の書店からは姿を消したという訳か。
3億円事件の犯人じゃあるまいし、たった3年や4年で絶版。
こうなってはAmazon頼り。
が、しかしである、Amazonの奴め、足元を見やがって定価の倍価格で販売!
欲求は高まり見たい、読みたい、レディ・ジェーン・グレイの生涯を知りたい。
読まずに死ねるか、買ってしまえ~(泣
という訳で我が家に女王レディ・ジェーン・グレイのお出ましと相なった次第。
 
しかしまあ、何と言うか闇黒の中世イングランドのおぞましさ。
一体、イングランド王室の歴史はどうなっているのだ!
日本の皇室では考えられないような権謀術数が平然とまかり通っている。
確かに日本でも例外的に壬申の乱はあったが王族や妃、または高位の貴族が首を刎ねられるなど聞いたことがない。
あの足利尊氏さえ後醍醐天皇を島流しにした程度ではないか。
 
だが、イングランドでは様相が全く異なる。
ヘンリー八世の時代、お妃は6人も変わり、順にキャサリン・オブ・アラゴン離婚、アン・ブーリン処刑、ジェーン・シーモア早世、アン・オブ・グレーヴス離婚、キャサリン・ハワード処刑、そして最後の妃、キャサリン・パーが一番幸せだったとある。
妃が処刑になる場合、王が浮気をして妃が不逞を働いたという濡れ衣で斬首されたりするから恐ろしい。
 
ヨーロッパの王族はどこも同じだが家系図を見ていても解り難い、
何しろ同名が多い。
イギリスを例に引くと男性ではエドワード、ヘンリー、ジョン、チャールズ。
女性はメアリー、キャサリン、エリザベスとキャサリンだけでも何人居ることやら。
とにかく家系の話しをし出したら誰も分からないので省く。
 
問題のレディ・ジェーン・グレイだがヘンリー八世の子、エドワード六世後の王位継承者第四位の地位にあった。
当時の上流階級の令嬢は将来どこの国の貴族と結婚するのか分からないので子供の頃からかなりハードば勉強をしていたようだ。
例えばレディ・ジェーンの場合!
 
朝6時からギリシャ語、ラテン語の古典作家の作品を英訳し、それをまた原文に戻す作業を繰り返す。
午後はフランス語、イタリア語、スペイン語を勉強。
その後、数学、地理、歴史、天文学、これでよくストレスが溜まらないものだ。
 
宮廷内では何度か政変が起き血生臭い事件が頻発するも勉強に明け暮れるレディ・ジェーンの生活は何ら変わることはなかったが変化の兆しは1552年の夏頃にやって来る。
スコットランド出身のメアリ・ステュアートは当時フランス王家に嫁いでいたがイングランドを訪れた折り、初めてジェーンはメアリを見る。
カトリックを信仰するメアリは派手好みで対するジェーンは地味なプロテスタト。
 
問題は1553年、僅か16歳のエドワード六世が重い病で既に晩年を迎えていたことにある。
王位継承順位は!
 
第一位のメアリがカトリック
第二位のエリザベスはプロテスタント
第三位はジェーンの母、フランセス・グレイ、この人もプロテスタント
そして第四位のレディ・ジェーン・グレイもプロテスタント
 
当時は宗教対立が激しく仮に一位のメアリ・ステュアートが王位を継いだ場合、現在のプロテスタント勢力は一掃され弾圧は必死。
情勢は流動的、この時点でイングランド最高実力者はノーサンバーランド公爵。
彼はプロテスタントで自らの保全の為、自分の息子をエリザベスかジェーンの何れかと結婚させる案を思いつく。
賢いエリザベスは手に追えず結局、僅か16歳のジェーンを息子の妻に迎え、ノーサンバーランド公爵は重篤なエドワード六世を説得。
王位継承権を第四位のジェーンに譲るようにと。
さすればノーサンバーランド家は王家の実験を握りプロテスタントも安泰。
 
さすがにこの策略に危険を感じたジェーンであったが両親の熱烈な説得に折れ結婚。
結果的にエドワード六世逝去の後、ジェーンは望まぬ王位を継承することになった。
しかし、ここで大きな誤算が。
エドワード六世はメアリの弟でもあり枢密院はそれらのことを一切知らせずジェーンに王冠を渡したことに怒ったメアリーは蜂起。
政府は討伐軍を送るもメアリー人気は高く政府軍は敗退。
そしてジェーンは僅か即位9日間で逮捕される。
 
メアリのロンドン入城は1553年8月3日。
8月22日、ノーサンバーランド公爵処刑。
ジェーンの運命はメアリに握られていたが、しかしメアリはジェーンの立場をよく理解しており、当初は寛大な処置を考えていた。
37歳のメアリにとって気になる存在は、まだ20歳のエリザベス。
宗派も違う。
 
更に事をややこしくしたのはメアリの後ろ盾となっていたスペイン王が息子とメアリの結婚を提案。
ここに至ってイングランドで大規模な反乱が起きる。
このままではイングランドはスペインの属国になってしまうと。
更に重臣たちは、ジェーンを生かしておいては何れまたジェーンを担ぐ者が出て反乱となるやも知れず王位を脅かすものは処刑すべしという意見が大半を占める。
 
国内の反乱は鎮圧され、最早、ジェーンを助ける手段はたったひとつ。
ジェーンをカトリックに改宗させるのみ。
メアリもそれを願っていたがジェーンはきっぱり拒否。
かくしてジェーンと、その夫の処刑は決まった。
レディ・ジェーン・グレイ、僅か16年の生涯であった。
自ら望んだ王位ではなく陰謀、名誉、権力の渦巻く宮廷で翻弄された罪なき女王。
死に臨んで聊かも狼狽えることはなかったと聞くが、しかし哀れを誘う生涯だった。
今日、イギリスでは名誉復権という制度はないのであろうか?
 

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