愛に恋

    読んだり・見たり・聴いたり!

ドストエフスキー伝

 
まあ、はっきり言って疲労困憊。
736ページという大著もさることながら人名がロシア語とあっては読み辛い。
しかしながら我が町関西ではまず以って見つける事の出来ない本、それを態々、神保町まで行って買ったとあらば解っても分からなくても意地でも読み通さねば、風車の弥七の男が立たねえ(笑
私は文庫本の中でも特に中公文庫を贔屓にしているのだが、時に、このような難物を敢えて選ぶ。
 
・わが友マキャベリ
・炎の人ゴッホ
・観樹将軍回顧録
・ロマノフ家の最期
夢声日記
・堺港攘夷始末
 
さほど学のない私としては2週間ぐらい超過勤務したような気分になる。
まあいい、恨み言はこのぐらいにして、これでとにかく解放される。
トルストイに関しては、以前、その晩年について書かれた本を読んだことがあったので多少は知ってはいるが、ドストエフスキーの生涯に関しては何も知らない。
ただ、何かの理由で収容所送りになったとは知っていたが、その何かとは何か!
それを知りたくて読む気になったのだが、著者は専ら神と文学論の話しが多く、何やら哲学的なこともひけらかし、こちらはチンプンカンプン。
 
一読したところではドストエフスキープーシキンゴーゴリーを評価しているがツルゲーネフとは生涯反目し合ったようだ。
それぞれの思想哲学が分からないので私としては何とも言えない。
 
ところでドストエフスキーの家系は一代ごとに善と悪が入り混じったような複雑な一族で、地方裁判所判事、主教、聖人、少尉と善の系図もあるが脱獄、終身貴族の殺害、公金横領、殴り込みの流血事件、財産横領、つまり盗人、殺人犯、司法官、夢想家とかなり派手な経歴。
当のドストエフスキーに至っては父親が地元で評判の悪徳領主。
1839年6月、3人の農民におびき出さ殺害されるという事態に至った。
 
さてと、ともあれこの本を難解にしているのはドストエフスキーの作品を通読していないとまず理解出来ないという点。
彼自身が経験したことを、それぞれの作品の主人公がドストエフスキーになり替わって発言、または思考しているので私のようなど素人には難しい。
更に著者は、その点をサラっと流すように書けばよいのだが、まあ20ページ近くも一々作品を捉えて解説するので、こちらの気分はどうしても尻の大きな女の子に目がいっちゃう(笑
 
冗談はさておき、ドストエフスキー逮捕のきっかけは、どうも反政府組織のメンバーに参加したことにある。
当時は帝政時代。
皇帝は農奴解放には賛成の考えだったらしいが、民衆はその程度の改革では気が済まないが、しかし政府も黙っていない。
密かに反政府集会の存在を突き止め有能なスパイを1年間忍び込ませ内偵を続け、逐一内務大臣に報告。
内務大臣から報告を受けた皇帝は早速通達を出す。
 
事態は重大である。全部目を通してみたが、一部にはたわいない部分があるとしても、これは罪を犯しているし、放っておくわけにはいかない。貴官が言っておられるように、ぜひ逮捕に踏み切られたし。成功を祈る。
 
1849年4月22日、ドストエフスキー一党は全員逮捕。
囚人たちは、ただ話し合って印刷物を作っていた程度なので尋問が済んだら直ぐ釈放になると思っていた、
10月22日朝、全員が集められ憲兵らが見守る中、馬車に乗せられ何処へとも分からず連れていかれる。
 
行き着いた場所はある練兵場。
馬車を降りると、そこには約4000名の一般市民。
中央には白木の台、階段が付いており、部隊は処刑台の前で方陣になって並び三本の棒杭が立てられている。
「整列!」という怒鳴る声。
囚人たちは一斉に今から何が起こるかを悟る。
 
「捧げ銃!」
「脱帽!」
「帽子を取れ、今から判決文をいい渡す」
 
罪状を読み上げ最後に!
 
「銃殺刑に処す」
 
囚人たちはまだ事態がよく呑み込めていない。
しかし司祭も立っている。
ラッパが鳴る。
死刑囚は跪かされ長袖の頭巾のついた白装束を着せられる。
最初の3人が柱に縛り付けられ頭巾が目まで被せられる。
短い号令が聞こえる。
小銃を持った兵卒が三部隊死刑囚の前にずらりと並ぶ。
 
ドストエフスキーの順番は2順目。
残された時間は約5分。
兵卒たちは銃に装填、肩に乗せる。
鋭い叫び声が沈黙を破る。
 
「照準!」
 
しかし、発砲の号令がない。
法務官がおもむろにやって来て、皇帝の恩赦の勅書を朗読する。
 
「罪人たちは、法の裁きのもとでは死刑の判決が下ったが、皇帝陛下の特別の御配慮に基づき恩赦となる」
 
ドストエフスキーが出獄したのは1854年2月15日。
しかし、ドストエフスキーにはシベリア独立軍第七守備大隊の一兵卒として4年間の兵役の義務が課せられる。
1856年10月20日、少尉補佐官に昇進。
59年3月18日、病気を理由に退職が許可される。
 
しかし、除隊後のドストエフスキーの生活は酷かった。
彼はギャンブル依存症でルーレットにハマり全財産を何度も無くす。
その度に友人や出版会社に借金と前借。
既に妻帯していたドストエフスキーは妻のイアリングからブレスレッドまで質屋に入れては無一文で帰ってくる生活を何と10年間も続けたそうだ。
妻もよくそれに堪え尽くしたとあるが、夫の天才性を信じていたのだろうか。
ただし、何故急にギャンブル狂から脱することが出来たのかは何の資料もないので分らない。
ある日を境にピタット・ハウスのように止めてしまった。
 
それからの彼は名作を次々に発表し、まるで「預言者」のように名声は高まるばかり。
ドストエフスキーの死は1881年1月28日。
明け方、彼は妻のアーシャを起こす。
 
「ねえ、アーシャ、もうかれこれ3時間も眠らないでずっと考えていたんだよ。そして今はっきりと、私は今日死ぬだろうということが分ったんだよ」と訴えた。

ドストエフスキーには持病の癲癇があり晩年には喀血を繰り返し容体はあまり良くなかった。
妻が慰めるも聞かず。
 
「いや、私には分かっているんだよ。きっと今日死ぬよ!」
 
と言って福音書を手にした。
彼の心臓が止まったのは夜の8時36分。
最後にこんなことが書かれていた。
 
「到達せざることにおいて、人は偉大になる」とゲーテは言っている。
ドストエフスキーは、到達しなかったからこそ偉大なのだ。
 
う~ん、ゲーテも難しいがドストエフスキーも難しい!
哲学や宗教に弱い私にはお手上げ。
 

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