愛に恋

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奇人でけっこう―夫・左卜全 三ヶ島糸

 
昔のある時期、私は、生涯を共にすべき映画作品として以下の3つを挙げていた。
「レット・イット・ビー」「東京裁判」、そして「七人の侍
中でも「七人の侍」は、その脚本総てを覚えるぐらい繰り返し巻き戻して見ていたが、それには理由がある。
20代前半、初めて「七人の侍」を映画館で観たはいいが、作品が古いためか、どうも台詞が聞き取れない。
何を言っているのか判らない場面がいくつかあった。
 
30代になり、レンタルビデオの時代に入り、再度見直し台詞を確認する作業の結果、何度も鑑賞するはめになってしまった。
そのシーンとは定期的に村に現れては略奪を繰り返す野武士対策として、ただ、飯をたらふく喰わせるという条件だけで町まで侍探しにやって来たはいいが、肝心の米を米櫃から盗まれてしまった時の場面。
その聞き取れない台詞を言っているのが左卜全というわけである。
 
「米、盗まれた」の後に「米がね~でよ」と悲鳴に似たような声で発する名台詞。
ともあれ、この映画では侍役を食うほどの強烈な演技を見せ、頗る印象に残こった。
日本映画史上、左卜全ほど百姓役が板に付いた俳優もまず居まい。
映画の全盛期、数多くの名脇役が存在したが、中でも私は、この左卜全、上田吉二郎、伊藤雄之助を名優だと思っている。
 
その左卜全熱が高じてわざわざネット注文してまで買った本、正確には評伝や伝記の類とは違い、妻が観察した夫の実像だが、これが簡単そうで意外と解り難い。
それほど卜全という人は個性的だったとも言える。
良く言えば哲学的、宗教人、明治の古老。
悪く言えば奇人、変人、偏屈、一徹。
 
ともあれ、一時期は稼いだ金の全額を崇拝している宗教家に寄付するという変人ぶりで、身なりは乞食同然であったと書かれている。
その頃、卜全はこんなことを言っている。
 
「世に虱とりほど楽しいことはないよ」
人は嫁とる 婿をとる 俺はひなたで虱とる
 
しかし28歳までは、あの風貌からは想像も付かない女道楽で肉欲を満たしていたとか。
しかし生涯苦しんだ脱疽という激しい痛みを伴う足を切断するかといほどの病。
その卜全が結婚したのが終戦翌年のことで、既に齢52歳だった。
因みに芸名、左卜全という名は昭和10年から名乗っていたそうだが、本名は三ヶ島一郎。
由来にはこうある。
左は左甚五郎、卜は塚原卜伝、全は丹下作善の善を変えて取ったと。
 
まあ、それにしても感心するのは、このような一徹暴君的主人に仕える妻というのは並大抵な女性では、まず務るまい。
その忍耐もさることながら、文章には鋭い観察眼と聡明さも漂う。
こんなことを夫に言われながらも。
 
「神は不浄を忌む。朝の祈り事が済まぬうちは、女とは口をきかぬ」
 
とにかく奥さんは隠忍自重だったようだが、ただ、耐えていただけではなく、夫の日々の生活に尽くすことを無常の喜びとしていたようだ。
だが、読者としては読むほどに卜全という人が解らなくなる。
曰く。
 
「一歩外に出れば、すべてが虚である、芝居である」
「外に出て人に見られる卜全は、映画で見るよりもっと楽しい人物でなくてはならぬ」
「必要なこと以外は俺の耳には聞こえないよ」
「世間の人は俺のことを”勝手つんぼ”と言っている」
 
とにかくウナギのように掴みにくい。
気難しく、怒鳴り、怒り、妻としては他人と接する夫を見ていると緊張の連続だったことだろう。
長い芸歴を誇る割には芸能界に友達がなかったのもそのためかと思う。
弔問に来た、森繁さんは「気儘に生きたね。彼を理解する人は少なかった」という言葉を残している。
 
全体像を捉えることの出来なかった左卜全
私も、これほど不可思議な人を見たことも読んだこともない。
唯一、彼を見抜いた人の談ではこうある。
 
「浮世人情に対しては無頓着。馬鹿となり居ることがよろしい」
 
しかし、斯く言う私は、あの昭和45年「ドゥビ・ドゥバー、パパパヤァー」の歌を聴くまで左卜全という人を知らなかった。
突然、現れた老人の歌が大ヒット。
その時はもう晩年を迎えていた。
左卜全は昭和46年5月26日死去。
田吉二郎は翌47年11月3日。
伊藤雄之助は55年3月11日。
昭和は遠くなりにけりですね。
 

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