京都嫌いとは何ぞやということに興味を持ち買ってみたのだが・・・!
例えばこんなことを想像していた。
芸子が無理な京都弁を使う。
風俗と寺社が渾然一体となった場所がある。
観光客の多さ。
うだるような暑さ等々。
しかし、予想は大きく外れかなり歴史的なことが書かれている。
私個人が観光地として訪れた場所の最多は京都だが、しかし何回行っても、この本が問題としている洛中洛外の境界線は分らない。
作者は嵯峨生まれの宇治在住ということらしいが、子供の頃より、嵯峨の者は言葉使いも違うし洛外だからという、謂われのない中傷を受けて育ったと書かれているが、そんなことがあるのだろうか。
京都に住んだことのない私には解らない。
そこで名誉挽回とも言うべく洛外、特に嵯峨の歴史について熱弁を振るっている。
あまり深く考えたことは無かったが、招魂社、つまり今の靖国神社は明治以来、官軍の側に立って戦死した者を弔っている。
しかし中世以前は怨霊思想なるものがあって、勝者が敗者を弔うためにかなり広壮な寺を建立して敬ったという。
吉野へ移った後醍醐天皇は、その三年後に病没。
しかし通読して思うことは「京都ぎらい」というよりは「北朝ぎらい」と言った方が、より的確なような気もするが。
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