『愛の顛末』とは、ややありきたりなタイトルだが、最近、私の中では赤丸付急上昇で一躍トップの座に躍り出た梯久美子作と聞いて、やはり買わずにおれなんだ。
帯にはこのようなフレーズが!
こんなにも、書くことと愛することに生きた!
その作家は以下の12人。
なるほど、これは面白そうな予感通りの面白さで新知識も満載。
今回、初めて知ったが多喜二の恋人と言われていた田口タキさんが横浜で亡くなったのは何と、平成21年6月19日とある。
102歳の大往生、つまり私が『蟹工船』を読んだ時点では、まだまだ存命だったわけだ。
この手のニュースは余程新聞を通読していないと見落としてしまいがちなもの。
よく知られた多喜二の遺体を囲むように撮られた写真、あの中に映ってはいないが当日、その場に居たらしい。
どのような思いで長い戦後を生きてきたのだろうか。
何も書き残さなかったのが惜しまれる。
あの日、多喜二の遺体を築地警察署に引き取りに行ったのは母親のセキ。
このあたりは三浦綾子の『母』に詳しいが多喜二の弟三吾は書いている。
遺体を前にした母親の絶叫を聞き、このまま気が狂うのではないかと心配した
それはそうだろう、私もその写真を見たことがあるが、それはそれは凄惨の殺され方をしていた。
当時の特高警察が如何に恐ろしい存在だったか物語っている。
セキは生涯、その姿を忘れることはなかったろう。
次は近松秋江、秋江といえば『別れたる妻に送る手紙』だが、おそらく私はこの作品しか読んでいないと思う。
私小説作家として知られる秋江、この本によると別れた妻と、その新しい男の足跡を追って日光へ行き、旅館をしらみつぶしに当たって宿帳を調べる『疑惑』。
散々、貢がせた挙句に姿をくらました京都の芸妓への執心から、不確かな情報を頼りに人の通わぬ山奥まで追いかけて行く『黒髪』など実に面白そうだ。
また秋江の友人の正宗白鳥が書いた実録小説『流浪の人』も是非読みたい。
ところで『疑惑』はその前後に『執着』と『愛着の名残り』という作品があり全て絶版だが、何とか見つけ出して読んでみたい。
『黒髪』の方も、これ一編では終わらず『狂乱』『霜凍る宵』『霜凍る宵続編』と続き益々以って面白そうだ。
正しく私の執着と言える!
三浦綾子作品はこれまで『母』と『泥流地帯』しか読んだことないが、彼女の印象は極めて真面目で特別波乱のない生涯だったと思ってきたが、失礼致しました。
大変なご苦労をされていたんですね。
戦後、オホーツク海で自殺も試みている。
更に5年半交際した最愛の人が33歳の若さで病死、病身で弔問にも行けずベッドで一晩中泣き明かしたとか。
私は彼女の代表作『氷点』を読んでいないが、いつかは読まなくては。
何でも竹内雷龍という人が書いた評伝『夏雲』という本があり、これも探したい。
妻あっての自分だったようで、神経質な原は上京するだけでも緊張感で嘔吐していたそうだ。
鈴木しづ子、全く知らない人だ。
発見された未発表句は凡そ7300句という膨大な数だ!
敗戦の日、しづ子は書く。
昭和二十年八月十五日皇軍つひに降る
しづ子には恋人がいたらしく著者はこのように書いている。
人間の知恵さえも焼き尽くされたかのような東京に婚約者は帰ってこなかった。
上手い表現だね、ここいらが私がこの作者に惚れている要因でして。
以後、しづ子んは性愛を大胆に謳い、パンパン俳句と揶揄されていく。
例えば。
娼婦またよきか熟れたる柿食うぶ
情欲や乱雲とみにかたち変え
ダンサーも娼婦のうちか雪解の葉
昭和24年、しづ子は黒人兵と恋仲になるが恋人は横浜から母国に帰って行った。
27年、黒人兵の母から息子急死の知らせが届く。
急死なりと母なる人の書乾く
9月、全ての消息を絶ち、その後の行方は杳として知れず。
千代の言い分は梶井が醜男だからということになっているが。
「お~~」と、わたしは低く叫んで立ち上がった。胸の底で何か一つの堅い殻がぱちん!とはじけるやうな音を聞きながらわたしは右手に握り締めた煙草を火のついたままふりかざして、一気に彼の面上に敲きつけた。燃えさしの煙草は彼の額に当たって、テーブルの上に落ちた。彼は、しかし、冷ややかな手つきで、今、眼の前に落ちた煙草をつまみあげた。すると、彼は視線をわたしの顔から話して、ぢっと考えこむように眼を瞑ぢた。しかし、すぐに猛然として立ち上がった。「よし、やろう。さあ来い!」
周りが止めに入ったようだが、尾崎は後にこう書く。
その晩を境として私の家庭生活は崩壊した。
このようなことが本当にあったのだろうか!
その後、東京の馬込に帰っていた千代に梶井から、そちらに遊びに行きたいと手紙が来る。
それを読むなり千代は駆け出し、
「梶井さんが来ると言ってきました」とふれ歩いたという。
梶井基次郎は若くして亡くなったが、こんな名文を残した。
俺はあの美しさが信じられないので、この二三日不安だった。しかしいま、やっとわかるときが来た。桜の樹の下には屍体が埋まっている。これは信じてもいいことだ。
しかし、こんな本を読むと文壇交遊録が好きな私は、まだまだ勉強が足りないと発奮する。