愛に恋

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妻への手紙―藤村 静子よりの手紙を添えて

 
写真で見る島崎藤村という人は温厚な紳士、理知的で、これぞ文豪という風貌であり、詩人としての才能も素晴らしく、一見、非の打ちどころがなさそうな人物に見えるが、生活力、品行、世間的な評価を考えると、やや問題がある、いや、あったのかも知れない。
明治43年までに三人の娘を栄養失調で亡くし四女出産後の妻を死なせてしまた。
 
その後、家事手伝いとしてやって来た姪を孕ませ、本人はフランスへ逃避行、常識を逸脱した行為にはさすがに周囲も驚いたことだろう。
更にその顛末を小説にして発表、う~ん、藤村の考えることはよく解らない。
藤村は自然主義派の大家だが、次第に古い文学として文壇中央の座から遠ざかる。
 
前置きが長くなったが妻静子は後妻で二人は昭和3年11月に結婚。
静子31歳、藤村より24歳年下で二人の出会いは大正10年3月。
当初は藤村の秘書で震災後の12年9月10日から往復書簡は始まり昭和18年7月7日まで続く。
 
本書を以前から探していた私は、とある古書店でこれを見つけ値札を見てビックリ!
たったの100円、ええ・・・、安過ぎるんじゃないの!
だが文句は言わない(笑
別に安いからと言うわけではないが、この本はちっとも面白くない。
藤村は意識的にかどうか時事ネタに関して何も書いていない。
 
二・ニ六事件、開戦の大本営発表など、まるで無関心。
昭和17年には北原白秋萩原朔太郎与謝野晶子と立て続けに死去しているのに、それにさえ触れていない。
日記とは違うと言えばそれまでだが時候の挨拶、互いの体調管理。
いつ、何処へ、何しに行くと、他人から見たら極めて平凡な書簡集で、ただ、遺してあったから纏めて出版したまでの話しともとれる。
 
近代文学史の上からは藤村の貴重な書簡だけに、今日まで手紙が残ったということは有難いことなのだろうが、読む方には退屈だ。
ところで、藤村は昭和18年8月22日に脳溢血で亡くなっているが、この写真は6月16日に撮られたもので、おそらく藤村、最後の写真ではないだろうか。
女性は静子夫人。
 
 
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