愛に恋

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閉経記 伊藤比呂美

 
司馬遼太郎さんや吉村昭さんが亡くなって以来、現代作家で好きな人と言われても特にいない。
寧ろ最近では作者よりタイトルや内容で選ぶことの方が多い。
ということで今回の1冊は文壇ではそれなりに有名な人らしいが、私個人は全く知らない人だが経歴を見て少し意外に思った。
昭和30年9月13日生まれ、青山学院大学文学部日本文学科卒業。
ということは桑田佳祐と同年同学ということになる。
二人に面識はないのか面識は?
 
まあ、それはいいが何で『閉経記』なる本を男の私が読むのか。
特段、意味はない。
ただ、何となく面白そうだから。
或は、この手の本を書く人は自分のことを赤裸々に告白するタイプではないかと思ったからで、案の定、こんな記述がある。
 
「30代後半、人生に破れかぶれになり、セックスのことばかり考えていた一時期があった。車の中でもビルの陰でもいつでもどこでもセックスするためには、ジーンズなんかはいちゃいられなかった。それであたしはスカートにはきかえた」
 
作家にしてなんと大胆な発言。
とても阿川佐和子では書けない一文だ!
本書を書いた時期は55歳~57歳、全般的にはかなり自虐的な話しが多い。
迫る老いに対してのユーモアある嘆きのように聞こえる。
例えば閉経の1、2年後!
 
「それから膣の壁が萎えて縮んで乾きがある。ペニスを挿入すると擦れて痛い。痛いのは辛い。潤滑ゼリーを使わなくてはならなくなる。5年経つ。がっくり老いる」
 
著者は20代で拒食症、30代で鬱を発症し3度の結婚で三児の母、現在はカナダ人の夫とカルフォルニア在住。
実家は熊本で認知症の両親のため月に一度は帰郷。
しかし、この作品を執筆中、孫が出来る頃を見計らったように両親が他界。
自らの老いに直面する哀感が文章のあちこちに見られる。
 
「トイレで下を見たら、陰毛もまた白髪だらけになっていた。それを眺めているうちに、死んだ母の白髪だらけの陰毛の生えた股を思い出した」
 
と、嘆き、パンツは臍まで隠れるデカパンを履きノーブラで男物のブカブカのTシャツを着て過ごす。
 
「四捨五入して60の婆あ。浦島太郎が玉手箱を開けてすぐ鑑を見たときのような心持ちだ」
 
「ひっつめの頭に白髪だらけだから、とんでもなくババ臭くなった」
 
と、まあ、実も蓋もないような発言ばかり。
垂れた乳、皺々なお腹と開き直ってあっけらかんといているようにも取れるが、そこはやはり女としての哀感が伝わってくる。
昔の自分を懐かしみ両親を見送り今度は自分の老いに直面する。
しかし、さすがにそこは作家。
言い得て妙な文面も紹介したい。
 
「あたしたちは満身創痍だ。昔からいっしょにやってきた女たちも、新しく知り合った女たちも、みんな血まみれの傷だらけ。子供がいりゃあ子供のことで、親がいりゃあ親のことで、男がいりゃ男のことで、男がいなけりゃいないということで、ぼろぼろになって疲れはてて、それなのに朝が来れば、やおら立ち上がって仕事に出て行く。ふだんは自分が傷ついていることなんか気づいてもない」
 
母親を亡くした友人からのメールも紹介している。
 
「もう母に会いに、あの暑い東京に行かなくてもいいんだ。行っても、あんな風に私を待ち焦がれている人はいないんだというのがまだ信じられません」
 
それを読んで、ぼろぼろ泣けたと。
なんか哀しいですね、人生は。
両親が死に、3人の娘が独立し、愛犬も死んで家族はこうやって縮小していくんだと作者は感慨深げ呟く。
エッセイストたるもの、本当によく人を観察しているものだと感心した。
食べて寝て大人になって恋愛し、sexして子供が出来、孫が生まれて親が死に、閉経を経て自らの老いを迎える。
何だか切ないような人生の摂理だ!
 
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