愛に恋

    読んだり・見たり・聴いたり!

女妖記 西条八十

 
本書は昭和33年、西条八十が66歳の時から書き始めた小品11編を収めた色懺悔のような本で、11人の女との情痴関係を告白形式で書き連ねたものだが、いやはや、西条先生は相当な艶福家であらせられる。
失礼ながら荷風も八十も、さして男前とは思えぬのが、今まで抱いた女は数知れずと言ったところか。
詩人として20代で文壇デビューした八十は、その美文に惹かれたファンから手紙が殺到、あれほどの文名を誇ればさもありなん。
 
はっきりとは書かれていないが、おそらく11人の女性経験は大正期から昭和初期にかけての話しだと思われる。
何分、登場する女性は芸者が多く、中山晋平と全国を回る傍ら、多くの枕芸者とも親しくなり、出てくる話しはどれも頗る愉快なものばかり。
 
八十ファンの私は個人的に明治20年代生まれの著名人で戦後まで生きながら得た人に多大な興味を持っている。
少年期に日清日露を経験し、明治天皇崩御、乃木大将の殉死、大正デモクラシーから関東の震災、そして満州事変、支那事変、大東亜戦争、敗戦と経験した彼等の人生は現代人のそれとは違い激動の時代だっただけにいくら読んでも飽きない。
 
惹かれる理由は時代背景ばかりでなくいくつもある。
遊里通いや芸者相手の放蕩三昧。
詩、小説など明治生まれの文体の美しさ。
今の世なら週間文春が飛びつくような経験を惜しげもなく曝け出す豪胆さ、将に痛快至極で、まずは、そのあたりを西条先生はどのように書いているか少し紹介したい。
 
さて、チャブ台がとり取りのぞかれて、いよいよ寝る段になった。
ひと風呂浴びて戻ってくると、二つの蒲団は、よって件(くだん)のごとく、僅かの間隔を置いてならべて敷かれてあった。
彼女はなまめかしい夜着の裾のあたりに、小机にもたれて、さっきの電車で見た小本をひろげていた。
 
う~ん、先生、今から始まるわけですね!
 
彼女の肉体は見かけ以上、痩せていた。
痛々しいほど骨ばっていた。
しかし、それとは対蹠的に、ものすごい情熱家だった。
僕は生涯にあれほど、コークスの焔のような女に出会ったことがない。
 
コークスのような女!
見事な表現ですね、今で言う肉食系ですね先生!
 
男はよく閨中で、相手の女性の情歴を訊く。
そして、一時的な性欲の刺戟にするが、あとで冷静になると、その女性に多少の嫉妬めいた嫌悪さを感ずる。
 
う~ん、さすがに先生、よくぞ言い当てて下さいました!
鋭い観察力。
 
一禽一縦、巧みに僕の青年の客気を抑えて、いろいろ指令し、おもう存分享楽した。
 
先生、一禽一縦(いっきんいっしょう)の意味が解りません。
 
そして先生は1936年、オリンピック取材を兼ねてベルリンへ。
そこで知り合ったブロンドのフランス女性と毎晩、アレに明け暮れる。
先生、のたまうて曰く。
 
考えてもみたまえ。連日、朝は早くからオリンピックの競技場へ駆り出され、終日かたいベンチで観戦し、その間に詩を書き、夜はぐでんぐでんに酔払わされて下宿へ戻ると、そこには若い美女が待っていて、また誘惑されるのだ。若いだけに彼女は精力絶倫だった。
 
先生、困っているような物言いですが、それは嬉しい悲鳴ではないのですか!
贅沢というものですよ。
精力絶倫でブロンドのフランス娘。
先生、確か先生は大学教授でもありましたよね。
才能は女をも呼び込むということでしょうか。
 
友人であった日夏耿之介は西条にこう言っていたとか。
 
「君が死んだら、そのラヴレターで僕が張子の仏像を作ってやる。
そして銘を入れて、色仏と名をつけてやる」
 
しかし西条さんは好色ばかりが優先するわけではなく、当時の女性の悲哀など、よく観察し、素晴らしい人生観と抒情豊かな詩想は読むほどに敬服する。
 
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