愛に恋

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李香蘭の恋人 キネマと戦争 田村志津枝

 
 私はテレビ・ショッピングや通販などで物を買うことはまずない。
どうしても現物を見ないと買えないタイプなのだが例外もある。
絶版本など、いくら古書店巡りをしても見つからない書籍はAmazonで購入しているが、これが時に失敗を招く。
例えばこの本『李香蘭の恋人』などと書いてあるので興味を抱き安易な気持ちで買ったのが間違い、読み進むうち意外に難解なので手古摺った。
付記として、このような説明書きがある。
 
「日本語、台湾語、北京語、上海語朝鮮語、その他が使われている」
 
いったい著者は何者なのかと略歴を見ると。
 
田村志津枝
1944年台湾台南市に生まれる。早稲田大学文学部独文科卒。記録映画製作にたずさわる一方で、ニュージャーマンシネマや台湾ニューシネマなど多くの映画作品を日本に紹介。字幕製作も担当。現在、ノンフィクション作家、日大講師(映画論、表象文化論)。
 
植民地時代の台湾生まれ、中国語が堪能なのだろうか。
中国、台湾、朝鮮の社名や団体など無数に出てくる中国漢字に手を焼く。
ともかく、戦時中、李香蘭に恋人がいたという話しは聞いたことがない。
舞台は昭和12年から15年の魔都上海。
今回、初めて知ったが李香蘭の経歴は当時このように紹介されていた。
 
奉天市長の愛娘として生まれ北京で成長し、日本人学校で学んだだけあって日本語は実に流暢、つまり彼女は日満支三ヶ国語を巧みに操る文字通り興亜の代表的姑娘である」
 
李香蘭が日本人であることは、ごく一部の人しか知らず、三作品で共演した長谷川一夫でさえ彼女は中国人だと思っていたとある。
そもそも満映は国策映画制作が主体で上海事変後に上海に進出。
占領地域の中国人を対象に質の良し悪しはともかく日中融和のため、李香蘭はあくまでも中国人でなければならなかった。
しかし、結果的にこのことが敗戦後、漢奸として李香蘭の生死に関わる問題になるが、それはまた別の話し。
 
少し込み入った話しになるが、蒋介石と袂を分かった親日派汪兆銘が南京国民政府主席となり日華共同出資の映画会社、日華電影公司を設立。
社員で台湾出身の日本国籍を持つ劉吶鴎(りゅうとつおう)なる人物が李香蘭の恋人という筋書。
劉吶鴎は上海映画界で活躍したが昭和15年9月3日、日本人と宴会後、京華酒家2階から階段を降りる途中を狙撃され、胸に2発の銃弾を受けて死亡。
 
まさにその時間、現場から900メートルほど離れたパークホテルで李香蘭が劉吶鴎を待っていたと言うのだが。
しかし、当初、思い描いていた李香蘭の甘いラブロマンスなどはどこにも書かれておらず二人の接点がよく分らない。
だが、昭和16年初頭、李香蘭が劉吶鴎の実家を訪れ大家族と共に撮った写真が現存しているが、何の為の訪問だったのか果たして真相は?
 
因みにこの本が書かれた時点で李香蘭はまだ存命で著者は幾つかの質問を添えて手紙を送っているが返信があったかどうかも定かではない。
 
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