居眠り狂志郎の遅読の薦め

喰う寝る読むだけの素浪人です

クラクラ日記 坂口三千代

 
著者、坂口三千代坂口安吾の妻で「クラクラ」とは安吾没後、三千代が開いたバーの名で命名者は獅子文六
その三千代が10年にも亘って書き連ねた安吾の思い出の記が本作だが、臨終当日のことが詳細に書かれているので抜粋したい。
 
そして十七日の朝、茶の間にそのままやすんでしまわれた貴方は、次の間にねむっていた綱男と私におふとんを掛けに来て下さった。寒い朝でした。……「みちよ、みちよ」と二度はど呼ばれて、声が少し変な感じだなと思いながら行ってみると、「舌がもつれる」といって、手まねで窓を開けることとストーブに石炭を入れることを云われ、「いったいどうなさったの」と云いながら、貴方はいつも石炭の煙がとても嫌いであったから、窓を開けながら「舌がもつれる」と云ったので、もしや脳溢血では、と思ってふりかえると、貴方は静かに横になられるところであった。……お医者が二人で必死になってあらゆることをして下さったようですが、刻々に心臓は弱まり意識は再びもどりませんでした。舌がもつれるとおっしゃってから一時間半ぐらいしかたっておりません。御臨終と云われても心臓がとまってしまっても、貴方の場合に限り死なんてことが考えられるだろうか。死ぬなんて、こんなことで死ぬなんて。
 
安吾安吾新日本風土記」取材で土佐の高知から帰宅したのが2日前の昭和30年2月15日。
顔色が悪く酷く疲れている様子だったと三千代は書いている。
その日は、午前2時頃まで息子(綱男)と3人で話し込み、翌日は幼い息子を風呂に入れたあと「頭痛がするからケロリンを頂戴」と言っている。
そして翌早朝の7時55分臨終。
48歳だった。
 
生前、「長生きする気はないよ」と言っていた無頼派坂口安吾とは如何な人物だったのか、妻を通して垣間見る安吾は、なるほど、無頼派の名に恥じない破天荒な男だ。
昭和21年11月、銀座5丁目に今もあるバー・ルパンで太宰、織田、安吾の座談会が行われ、確か「小股の切れ上がったいい女と言うが小股とはどの部分を指すのか」と語られたはずだが、何故、この場に檀一雄が居なかったのか残念だ。
 
戦後を象徴する無頼派作家4人揃いとなれば、さぞ面白かったことだろうに。
ところで太宰の自殺未遂は何も相手が女と限ったことではなく、檀一雄とも未遂を犯している。
だが、読む限りに於いて安吾には自殺未遂はなさそうだが、薬物依存症には本人のみならず周囲も酷く困った様子で生涯、断ち切ることが出来なかった。
 
覚醒剤睡眠薬ヒロポンを乱用、精神衰弱、うつ病、耳鳴り、幻視、幻聴が現れ、遂には暴れ出し全裸で路上に飛び出す。
妻は褌を持って後を追い掛けるという有様だ。
時には旅館の二階に馴染みの女を呼び、妻が迎えに行くと女将を通じてこう嘯(うそぶ)く。
 
「女房には明日の朝、対面いたすであろう」
 
当時の薬物事情はよく知らないが、何でもアドロムという危険な睡眠薬があり安吾は、それを何と日に56錠も飲み、1日6食を平らげ、一度外出したらいつ戻るか分らぬ勝手気儘な生活。
しかし、一端原稿に向かうと食事、風呂、便所、睡眠の他はひと月、ぶっ通しで机にへばりつく。
更に56錠飲んで眠れないと「おーい、アドロムをあと10錠持って来い」と怒鳴り、按摩を呼んで肩を揉ませ、相手が下手だと「貴様、それでも本職か」と罵倒、町中の按摩から敬遠され、怒り狂い寒中でも真っ裸で外に飛び出す。
 
しかし、健気な夫人は一度も離婚を考えず、ひたすら尽くし子供を授かりたいと熱望していたと言う。
時に、物を投げ、壊し、トイレに閉じ込められ暴言を吐かれても尚、夫との散歩を愉しみ、安吾を愛し抜いた三千代夫人には頭が下がる。
合縁奇縁、不思議なのは男女の仲、相手にどんな魅力を見つけるのも人それぞれ。
 
顧みるに無頼派作家はやはりモテる!
安吾に嫁し、94年71歳で没した三千代さん、彩りを増した人生だったのだろうか。
 
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