30数年前のこと、近江の国、義仲寺にある芭蕉の墓を詣でたことがある。
大川周明とは如何な人物だったのか、それは私にとっては荷が重すぎる。
蹶起した青年将校などは本当に北の思想を理解していたのだろうか。
昔の人は青年にしてかなり老成していたということか。
大川周明、実のところ私は彼の著作は1冊も読んだことがない、というか難し過ぎる。
大川は一種の天才児でコーランの翻訳、開闢以来、2600年間の日本の歴史研究、西洋植民地主義に対する精緻な分析、孔子、孟子、カント、プラトンなどに精通し英語からサンスクリット語など8か国語を自由自在に話すことが出来るという超人だった。
その大川が東京裁判開廷の初日、前に座る東條の頭を引っ叩いた。
大川の奇行は詐病だったのか、それとも本当に精神に異常を来したのか、精神鑑定を行ったのが著者の祖父であるダニエル・ヤッフェ軍医少佐で、まず、その問題の場面を見てみよう!
被告28名中、大川を除く他の人はスーツか国民服を着ているが、大川だけが、その場に求められる厳粛さに欠ける服装をしている。
だらしないパジャマのような間の抜けた格好はどうしたわけか。
しかし、いくら見たところで詐病か発狂か今日でもよく判らない。
大川は唯一の民間人だが連合国検察団は彼の起訴理由をこのように見ていた。
「裁判で審理の対象となった全期間において一連の謀略を焚き付け生き永らえさせた発火材」
更に大川言う。
「東西両強国の生命を賭しての戦いが、恐らく従来も然りし如く、新世界出現のための避け難き運命である」
後に検察官もこのように陳述している。
「1925年から1945年における日本最大の革命的知識人」
その大川にして発狂したとあらば将に天才と何とやらは紙一重ということになるが、詐病説を唱える人は公判初日という絶妙なタイミングに違和感を覚え、裁判免責後、コーランの翻訳など、とても狂人が為せる技ではないと主張している。
逆に発狂説を唱える人は。
「生きてる間、彼はあらゆるレベルで常に矛盾を抱えていました。いつも自分の中で分裂しているんです。自らを内側から統合することができない。それで裁判中に発狂してしまった」
鑑定に当たった精神科軍医の結論は。
「一次診断の結果は以下、梅毒、第三期、結果を鑑み、患者は善悪の判断をつけることができず、自己弁護の証言はできないと考えられる」
と、私なりに要約してみたが、この本のサブタイトルにもあるように。
ヤッフェ軍医は欧州戦線の兵士の神経症にかなりのページ数を割いている。
激しい戦闘によるPTSD障碍を緩和させるのが彼の任務で今で言う精神的なケアというわけだが、日本軍の場合は、そのような軍医はいなかったと思うが。
何でも神経症発症率はアメリカ軍が最も高く除隊後、50%が発症、ロシア軍は17%、イギリス軍が30%で逆にドイツ軍は発症率が低かった。
理由はアメリカ兵は「やむを得ず戦った」ロシア、イギリスは報復のため、ドイツ軍は洗練されたプログラムの結果であると。
ところで大川はこんな面白いことを言っている。
元寇の役についての言だが!
「敵、北より来れば北条、東より来れば東條、天意か偶然か目出度きまわり合わせと存じます」
言うまでもなく北条とは執権北条氏のことで元寇の襲来の時も勝ったのだから今回も東條で勝てるというわけだ。
大川は記録で読む限り、公判前の尋問では、これと言って変わったところはない、どうして公判初日にかくなる奇行に出たのか。
東條とは周知の中で、その東條で勝てなかったことが発狂の起因なのか。
真実は大川のみぞ知る・・・!
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