居眠り狂志郎の遅読の薦め

喰う寝る読むだけの素浪人です

狂うひと 「死の棘」の妻・島尾ミホ 梯久美子

 
最近、注目しているノンフィクション作家が二人いる。
永山則夫 封印された鑑定記録』を書いた堀川恵子と硫黄島 栗林中将の最期』の著者梯久美子で、堀川恵子には関連本として『死刑の基準 「永山裁判」が遺したもの』という作品があり、梯久美子には『散るぞ悲しき―硫黄島総指揮官・栗林忠道がある。
共に女性だがどちらも着眼点が素晴らしく、その取材能力には瞠目せずにおれない。
驚くべきは女性作家が栗林中将を採り上げたことで過去、このような事例を聞いたことがない。
 
その梯久美子が去年10月、『狂うひと 「死の棘」の妻・島尾ミホという大作を刊行、第39回講談社ノンフィクション賞、第68回読売文学賞(評論・伝記賞)、第67回芸術選奨文部科学大臣賞(評論等部門)を受賞、確かに素晴らしい本だった。
この作品を書こうと思ったきっかけを著者はこのように語っている。
 
「文筆家の肖像ばかり集めた上田義彦さんの写真集『ポルトレ』で、どこか南の島の浜辺に黒いレースのドレスを着た女性が佇んでいるのを見て、これは一体誰だろうと思ったんですね。美しくて、ちょっと異様な感じもあって。プロフィールと短いインタビューを読むと島尾敏雄の小説『死の棘』に登場する妻だとわかりました」
 
実は私、恥ずかしながら、この本が出版されるまで島尾敏雄という作家の存在を知らなかった!
問題の『死の棘』は昭和52年に発売され、日本文学大賞、読売文学賞芸術選奨を受賞したベストセラー作品で松坂慶子主演で平成2年に映画化もされている。
因みに檀一雄の長編小説『火宅の人』が発売されたのはいつだったかと調べてみると昭和50年とある。
こちらも緒形拳松坂慶子で映画化され、この作品は見たのだが『死の棘』は小説、映画共に知らなかった。
しかし、梯久美子の新作でもあり、妙に惹かれる表紙の写真を見て三千円という高値でありながら衝動買いしてしまった。
 
だが、本書を読む前に島尾敏雄とミホ夫婦の間に何が起きたのか事実関係を知る上でも二人が書いた著書を読む必要があり島尾の『死の棘』『妻への祈り』とミホの『海辺の生と死』を読み終え、満を持してこの大作に取り掛かった。
まあしかし、何と言うか梯久美子の才能、能力にはほとほと脱帽する。
ミホの死後、自宅に残された資料調査を遺族了解の下に新潮編集部の人と整理、着手したとあるが生原稿、日記、手帳、草稿、ノート、メモなどを合わせ段ボール千箱以上、その大部分が手つかずの状態で、著者はこの膨大な資料を渉猟、関係文献を読み漁り完成させたのが本作で、取材開始以来11年の歳月を要したとある。
まるで迷宮入りした事件を執念で負う刑事のようだ!
 
ところで『死の棘』だが、この本は是非、多くの人に読んで貰いたいと遅まきながら痛切に思う。
古今東西、芸術家の不倫、色恋沙汰は今更言うまでもないが島尾夫妻ほどの修羅場を演じた男女が居ただろうか?
私の知り得る限り聞いたことがない。
 
島尾は奄美加計呂麻島に駐屯する震洋艇の特攻隊長で183名の部下を預かる指揮官。
8月13日の特攻出撃、ミホは殉死という形で共に死の淵を覗き見る地点まで行ったが、出撃命令は遂に訪れず終戦となった。
そんな異常心理の中で燃え上がった恋は二人の死を以て完結するはずだった。
その頃、島尾はミホへ歌を送っている。
 
君恋ふは 塩焼小屋の煙の如く 吾が胸うちに絶ゆること間もなし
 
塩焼小屋とは二人が逢瀬の場所として使っていた浜辺の小屋のことだが、復員し、神戸に戻った島尾について著者はこう書く。
 
戦時中の昂揚はすでに遠いものになり、再会したミホが色褪せて見えた、死という裏打ちが失われたとき、エロスもまた失われた。二人の戦後はこうしたずれの中で始まったのである。
 
手に取るように解る心境だが、それでも二人は結婚し新婚生活は始まる。
だが、二人の運命を決定づけたその日はやって来る。
昭和29年9月29日、毎日欠かさず付けていた島尾の日記をミホは目にする。
その時の心境をを後年、ミホは書いている。
 
「それは全く心臓を刃物で刺されるより耐え難い言葉であった」
「机の上のインク壺もペンも日記もみんな壁に投げつけた」
 
更に!
 
その当時私は黒く長い髪をうしろで大きく結っていた。長めのヘアーピンを数本使ってしっかり止めていた。ヘアーピンを全部抜いて壁に投げつけた。ザンバラになった髪の毛が顔にかかり、頭を強く振って畳の上を這い廻り、うなり声(ライオンの声)をあげた。まさしくライオンの姿。畳に爪をたてかきむしる。指先から赤い血がしたたる!胸が苦しい。心臓が早鐘のように打ち続く!喉がひりひり痛む、涙が溢れる。涙と鼻水が口の中に入る!
 
これが書かれたのは夫の日記を見た半世紀後だが、その激情は消えることがなかく、止むことの無い強烈な独占欲が伝わってくる。
夫の死から自身の死までの21年間、喪服を着続けたミホ。
 
二人の壮絶なバトルが文学史に残ることになった。
ミホは献身する妻から狂気によって夫を支配する妻へと変貌していく。
その日、夫が帰るや否や島尾に詰め寄るミホ。
三日三晩不眠不休で詰問責めにあい、子供や家事は放り投げ、死ぬだ生きるだと際限のない諍いは時に取っ組み合いになり、自らの首を絞め、互いに相手の頬を打つ。
疲れた島尾は線路に飛び込もうと走り出す。
ミホは書く!
 
自分の生きるすべては夫であるのに、夫からはかへりみられるひとときもなく、やさしいいたわりのおもひもかけられぬ、哀れなるものよ、妻。
 
ミホの糾問はエスカレート!
 
「あいつを喜ばせていた」
 
のは許し難いことであり、「あいつ」より自分を選ぶなら、それは性を伴う愛情でなければならない。
愛情は性行為によって証明せよ!
島尾は書く。
 
妻は夫をからだでためそうとし、夫は強い緊張があって心が安まらないから、あせって失敗しがちなのだ。するといっそう猜疑のこころが起こり、夫から確かめを得るまでは何度でもためそうとする。
 
概して男は緊張を伴うと勃起はしないものだが、しかし、ミホの苛立ち嘆きも理解できる。
更に!
 
「女にやった下履き」
 
に拘り、
 
「あたしも死ぬまでにいっぺんそんな色とりどりのパンティをはいてみたい」
「愛人に買ってやったパンティの色を全部思い出せ」
 
そして事件は起きる!
問題の女性「あいつ」が島尾の家を訪ねて来た。
怒りと混乱で激しい感情に襲われたミホは女に飛び掛かる。
二人は折り重なって庭に倒れ土に塗れ、ミホは相手を組み伏せ、女の髪の毛をむしり、洋服を引き裂き、泥の中に顔を押し込め、首を絞められる。
その光景を島尾は腕を組んで茫然と見ていた。
女も叫ぶ!
 
「よく見てちょうだい。あなたは二人の女を見殺しにするつもりなのね」
 
そして!
 
「トシオ、女のパンツをぬがせろ」
 
とミホは叫ぶ!
仕方なく女の脚を抑えようとした島尾を女は蹴り上げる。
壮絶な場面だ。
ミホが島尾の日記を見てから女が訪ねてくるまで凡そ半年。
その間、ミホは精神を病み昭和30年1月31日慶應病院精神科に入院。
更に同年年6月6日から千葉県の国府台病院精神科に再入院。
ミホは「あいつ」に似た女を見るだけでも激しい発作を起こすようになる。
その頃書いた島尾の血判状が残っている。
 
 
だが、ミホの症状は改善されず糾問は続く。
 
「あの女にはあんなにしたのに何故自分には何もしてくれないの」
「あなたは、ほんとうはあたしに不満なくせに、表面猫撫で声をして、今いそがしいから、あとでね、と言って手を振って拒否してきたじゃないの。あたしも女ですからね、二年も三年もひとりぼっちにして置かれて、だまっている妻がどこの世間にあるでしょう。あたしだって、あなたから満足を与えられたことはないのよ
 
ところで島尾は1年に満たない期間に起こった出来事を、足かけ17年にわたって書き続け、昭和52年に『死の棘』を出版しているが梯久美子は意外な推論を展開している。
島尾は浮気の模様が詳細に書かれている日記を意図的にミホに見せたのではないかと言うのだ。
その反応を見て小説にするために。
そんなことがあり得るだろうか?
 
島尾は震災も戦争も私の横をすり抜け生き残り、自らの業の浅さにコンプレックスを持ち、破綻の中で初めて見えて来る期待が作家としての島尾を奮い立たせ、ミホに日記を読ませることで手応えのある悲劇を手に入れたと言うのだが。
その結果、島尾が求めた以上のものが提供されたと。
その証拠に、事が起こった直後から、まるで待っていたかのように書き始める。
勿論、私にその真偽の程が分かるはずもない。
 
その後、島尾夫妻は奄美に移住し、ミホは夫が書く作品の清書をすることで精神のバランスを取り戻していく。
両親の諍いを間近で見ていた長男の伸三は言う。
 
あの二人は、知力も体力もある二人が総力戦をやっていたような夫婦だった。父が死んだことでやっと、母は父を完全にコントロールできるようになったんです。
 
作家となった二人は共通した互いの経験を書き合うという稀有な夫婦だった。
昭和61年11月10日、島尾は脳梗塞で死去、享年69歳。
平成11年、ロシアの映画監督がミホを主役とする『ドルチェ・優しく』という映画が作られたらしいが是非観たい。
平成19年、脳内出血により自宅で死んでいるところを発見された。
時にミホ87年の生涯だった。
 
愛するが故の絶え間ない諍いと嫉妬、そして束縛と狂乱。
ミホが生涯を懸けて愛し抜いた島田という元特攻隊員。
独り残されたミホの余生を思う時、その胸に去来するものは変わらぬ夫への愛だったのだろうか。
如何に激越な人生であっても結局は死が二人を分かつ。
島尾の歿後、ミホは毎年8月13日が来ると嘗て出撃を身届けて自決しようとした奄美加計呂麻島の呑之浦海岸に座って夜を明かしたという。
 
最後にミホが自分を狂わせたと語った、日記に書かれていた謎の「17文字」、それが何であったか著者はついに明らかにしなかった。
推察するに何かよほど強い性的な文字が書かれていたのだろうか?
 
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