居眠り狂志郎の遅読の薦め

喰う寝る読むだけの素浪人です

よみがえる 松岡洋右 福井雄三

 
東京裁判の公判中、検事が東條英機に対しこんな質問をする場面がある。
 
「貴方は、弐キ参スケという言葉を知っているか?」
「はい、知っています」
 
戦前、弐キ参スケと言えばあまりいい印象が無かったようだ。
 
星野直樹 国務院総務長官
岸信介  総務庁次長
松岡洋右 満鉄総裁
 
この五人の名前の最後の字を取って弐キ参スケという。
つまり満州を牛耳っていた軍・財・官の5人で甘粕は入っていない。
ところで今日、松岡洋右と言えばあまり芳しい印象がない。
しかし、この書は徹底的に松岡擁護にまわり、まるで松岡冤罪論を晴らすかのような論陣を張っている。
ところで、一体、松岡の何がこれほどイメージを悪くさせているのか。
その最たるものは近衛公が自決の直前に残した「近衛手記」の内容にある。
 
「日米了解案が順調に進行し、日米の和解が成立しかけていた直前に、訪欧から帰国した松岡がこれに横槍を入れて反対し、日米和平の芽を摘み取ってしまった」
 
つまり近衛首相は、あの時、松岡さえ反対しなければ戦争は起きなかったと言っているわけだ。
では、松岡は何に対して反対していたのか。
その前に松岡が世界的デビューとなった国際連盟の臨時総会での演説、よく知られる場面だが松岡はポマードを塗ったオールバックで連盟脱退を宣言する。
この時、松岡は主席全権で誰もが認める国内随一の切れ者だという人物だったらしい。
 
11歳でアメリカに渡り、苦学して将来の政治家を目指し、帰国後、外務省に入省。
退官後は請われて満州国で辣腕を振るう。
本来、松岡は満州問題の武力解決には断固反対の立場でありながら、全権に指名され連盟脱退の立役者のように祭り上げられ帰国後は国民に歓呼の声で迎えられる。
松岡にすれば全く意に反するっことだったらしい。
 
その後、松岡は第二次近衛内閣の外相に就任し日独伊三国同盟、日ソ中立条約を締結して帰国。
あくまでも対米戦反対の松岡は日独伊とソ連が組めばアメリカも易々と手が出せまいという大構想。
本来、日独にとって共産主義は共通の敵だが、この時点で松岡の脳裏に将来の独ソ戦は想定されていなかったはずだ。
 
松岡の日米了解案の反対理由だが、松岡は入閣するにあたって近衛に対し「外交一元化」を確約させていた。
つまり、外交のことは自分に任せてほしいということである。
にも拘わらず、帰国後、内閣は松岡に何の断りもなく野村吉三郎大使を通じてルーズベルトやハル国務長官と直接折衝。
当然、松岡は日米了解案を認めようとはせず再検討を命じる。
 
更に松岡にとって打撃だったのは出先の野村大使が了解案頓挫の理由を大統領に告白したことが災いしアメリカ側は松岡の印象を一層悪くさせてしまった。
そして大いなる大誤算が!
スターリンと中立条約を締結した二か月後の9月、独ソ戦が勃発。
松岡は直ちに参内して「即刻、北進してソ連を討つべしと言上」
歴史ファンなら誰もが考える「もし」である。
日本にとって第二次大戦勝利への道、千載一遇のチャンスが到来したのである。
 
戦後、チャーチルもまったく同じことを言っている。
あの時、日本が北進してソ連をドイツと挟み撃ちにしていれば日本は勝者となっていたと。
これはあながち間違いではなく、欧州各国の予想では数か月でモスクワは陥落するというのが一般論だった。
この本には書いていないが、そこで暗躍したのがゾルゲということになる。
 
「日本軍、北進せず」
 
よってジューコフ将軍率いるソビエト軍は反攻に転じる。
アメリカの国内世論はどうか?。
41年11月の世論調査では欧州戦参加への不可は63%にもなっている。
日本軍の動向としてアメリカ国務省ソ連に宣戦布告するのが最も合理的と考えていたが事実はそうならなかった。
 
7月2日の御前会議。
松岡の反対を押し切って南進論が国策として決定。
南進すれば必ず対米戦になると警告していた通り日米戦は勃発。
松岡外交は刀折れ矢尽き、こと、ここに至って近衛は内閣を解散、第三次近衛内閣の発足となる。
交替したのはただ松岡のみだった。
つまり松岡降ろしのための改造内閣というわけである。
そして運命のハル・ノート
 
満州を含む中国および仏印から、日本の陸海軍および警察の全面撤退
・日華特殊緊密関係の放棄
三国同盟の死文化
・中国における重慶政府以外のいっさいの政権の否定
 
もはや万事休す。
戦後、松岡は自決しなかった。
判決日まで存命であれば或は死刑判決を受けていたかも知れぬ。
しかし退官後の松岡は持病の結核が重く21年6月27日死去した。
市ヶ谷に向かう時のことか、バスから降りる最晩年の松岡の映像が残っているが、嘗てのエネルギッシュな風貌とは程遠いやつれた姿が痛々しい。
しかし、松岡に対する検証は今後とも必要であろう。
 
著者は東京国際大学教授という肩書だが一読するところかなり松岡に対する思い入れが深いように読み取れる。
因みに近衛退陣の後は松岡内閣の構想もあったようだが本当だろうか。
その場合、参謀総長石原莞爾だとか。
 
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