居眠り狂志郎の遅読の薦め

喰う寝る読むだけの素浪人です

裸はいつから恥ずかしくなったか 中野明

 
 
比較的有名なこの絵を一度ならず見たことがある人もいると思う。
作者はドイツ人画家ヴィルヘルム・ハイネ。
ペリーの日本遠征に随行画家として1854年に下田にやって来た。
その時に描かれた所謂、「下田公衆浴場図」は合衆国政府に公式文書の記録として提出されたもの。
 
無論、ハイネが全くの想像で描いたものではない。
我々、現代人も江戸の昔、銭湯は混浴も可だったということは知っている。
がしかし、この風習は江戸の町に限ったことなのか、はたは全国的なものだったのか良く知らなかった。
しかし、いい意味で羞恥心というものを知らなかった日本人の裸体は日本全国、至る所で西洋人の目に触れたようだ。
古来、日本人は性に関しては淫靡な感覚を持ち、現代人より遥かに大らかだったというようなことを何かの本で読んだことがあるが、この本を一読、まさかここまでだったとは驚いた。
 
昭和30年代に育った子供なら知っていると思うが当時は電車や路上などでも母親は躊躇なしに子供に母乳を与えていたし、それを見て特別違和感もなかった。
また、腋毛を剃る習慣とて一般的ではなかったように思うのだが。
あれが江戸の名残を最後に伝える時代だったのだろうか。
 
ともかく、幕末、大挙して訪れた西欧人は驚きの目を持って混浴の様子を日記に書き記している。
上の絵を細部に亘って解説するとこうなる。
 
入浴者は全部で二十二人。男性が九名、女性が十名。性別を判別できない人物が三名。入浴者はおおよそ四つのグループに分かれている。まず、画面右奥には、女性五名の群れがあり、幅広の木桶だろうか、その周りに四名がしゃがみ、桶を持った一人だけがきりりと立つ。その足下の女は、膝をなかば開いて下腹部を見つめる。右手の女性がその様子を横目で覗きながら何か語っているかのようにも見える。

一方、画面中央部では、四名の男性と五名の女性が溝を境に入り交じっている。右端の男は桶を持って立ち上がり、画面の外へと出て行く様子である。床に桶を置きしゃがもうとする男、桶に手を入れて足を半ばのばしている男もいる。このグループの中で最も目立っているのが、最前列でしゃがむグラマーな女性。足を抱え込み、布状のものですねの辺りを拭っている。その背後には、背を向けてしゃがむ女や、正座する女、半ば立ち上がる女がいる。
 
しかし、この絵の不思議な点は誰ひとり異性の裸体を好奇の目で見ていないことにある。
そこに着目した西洋人こそ、まさに驚きの光景だったわけだ。
今から約160年程の昔、我等日本民族の風習は現在とは隔絶の感があったのだろうか。
私の世代から換算すると4世代ほど前になるが、西洋人の受けた衝撃は驚きなんていう容易いものではなかった。
 
「恐ろしい衝撃」
「胸が悪くなる」
「私の遠征の中でこれほど醜い光景を見たことがない」
「利口だが嫌悪すべき人間」
 
それもそのはず、当時のイギリスは社会規範の厳しいヴィクトリア朝時代。
当時のヨーロッパでは入浴は体力を低下させるという迷信から入浴は滅多に行われない風習だった。
それどころか生涯、一度も風呂に入ることなく死んでいく人もいたとか。
いろんな文献にも載っているが世界中、日本人ほど綺麗好きな民族はいないと当時の西洋人は思たようで、何しろ日本人は毎日風呂を欠かさない。
 
更に驚きは続く。
西洋人がたまげたのは風呂の温度で、約50度の高温の中、15分から30分浸かっていたというのである。
これは中世の聖人の殉教者のようなものだと書いている。
つまり拷問の類で、さしずめ石川五右衛門の釜茹でのようなものになる。
更に更に驚きは続く。
 
「絵画、彫刻で示される猥褻な品物が、玩具としてどこの店にも堂々と飾られている。それを父は娘に母は息子に兄は妹に買っていく」
 
つまり大人のオモチャを土産に買っていくと言うのである。
信じられない話しだが多くの外人が同じような光景を目にして日記に記している。
では、当時の日本人にとって裸体はダイレクトにセックスと結びつくものではなかったのか。
否、裸体は顔の延長だと考えていたという。
そんなことが考えられようか。
 
元来、幕府も混浴について見て見ぬふりをしていたわけではない。
松平定信寛政の改革の時は「男女入混湯禁止」
水野忠邦天保の改革の折りも「男女入混湯、決して致候間敷候」というお触れが出ているが守られることはなかった。
更に日記を拾って見る。
 
七面鳥のように赤く出てくると休憩室で男女、裸体のまま思い思いの格好で休んで話をしている」
「これらの人々は、人間が堕落する前にエデンの園にいた人間の最初の祖先と同じように純粋なのだろうか」
 
つまり現在の日本人は幕末の西欧人と同じ目で裸体を見ているから恥じらいというものが生まれるとも言える。
何しろ、昔は下着が無かった。
それ故、信じられないことだが湯屋から上がったら、そのまま素っ裸で町を歩いて家まで帰り、道行く人はそれら全裸の男女を見ても委細構わずだったとか。
それが自然な行為として日本人には受け入れられていたわけだ。
しかし、本当だろうか、俄かには信じられない。
 
更に、銭湯の作りかたはどうか。
建物が密閉されていたわけではなく外から丸見え状態で、それ故、外人はこの異様な光景が目に入り、瞬く間に西洋社会にこの謎が広まった。
住環境に目を向けると、各長屋は一日中扉や窓を開けっぱなし、プライバシーは丸見え、暑い時には外に盥を出し全裸で水浴びをしていても一向に道行く人は気にも留めないと。
しかし、そこまで裸体に興味がないのなら春画はなんの為に成り立っているのか。
著者はそれをこう分析する。
 
春画の特徴は、何と言っても性器が巨大化している点である。そして、そのあまりにもデフォルメされた性器が生々しく挿入されている様子を描く。しかも体位が極めてアクロバティックでもある。また、現代のヌードでは極めて重要なパーツになっている胸部があまりにも簡略化されている。つまり春画の主要テーマは、裸体そのものではなく性行為自体だと考えるのが自然だろう」
 
なるほどね!
私がまだ20代の頃、近くに住んでいたお婆さんが若い頃、伊勢で海女さんをしていたという話しを聞いたことがある。
昔の海女さんは上半身裸で素潜りしていたが、そのお婆さんの話しでは海から上がると「オメコ干し」と言ってみんなで裸になり石の上で甲羅干しのようにアソコを乾かしたとか。
いや~、価値観なり羞恥心などは時代と共に変遷していくものですね。
江戸時代、女性は大股であるく度に秘部が見えるのは当たり前だったらしい。
それでは性欲も削がれようというものだが。
 
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