居眠り狂志郎の遅読の薦め

喰う寝る読むだけの素浪人です

芥川龍之介―長篇小説 小島政二郎

 
嵐山光三郎「文士の伝記はまず、死がその前提にある」と言っているがまさにその通り。
または「小説家の死は事件であるとも」
これまで数多くの文士に関する伝記・評伝の類を読んできたが中でも一番多いのは太宰に関するもの。
太宰と関係した3人の女性が書き残したものも含め色んな角度から読んできたが、どうも太宰の生き様や情死については同情を持てない。
 
例えば自殺までしなくとも同情を禁じ得ない文士は沢山いる。
正岡子規はどうか。
脊椎カリエスとはどんな病気か知らないが晩年は悶絶、絶叫、号泣、罵倒と母と妹を煩わし下の世話から食事の用意まで言いつけ布団の上だけで暮した。
 
石川啄木はどうだろう。
確かに性格が祟って長く定職つ就くことが出来なかったが、結果、待っていたのは結核で、厄災は本人だけでは済まず、母、妻、娘と家族ぐるみ、結核に罹り全員死滅した。
 
島崎藤村の場合は、あまりの貧困から栄養失調で妻と三人の娘を亡くしている。
 
有島武郎の場合はどう考えたらいいのだろうか。
人妻である波多野秋子との不倫がバレ、姦通罪で告訴されるか慰謝料として1万円払うかと迫られ情死した。
幼い子供三人を残してである。
 
他にも西洋の音楽家や画家など書き出したらキリが無い。
とにかく、有島、芥川、太宰、三島、川端とそれぞれ晩年を読んでみて、やはりその悲惨さや悲しみに於いて芥川に最も同情の念を払う。
今回の本、作者は小島政二郎
1894年(明治27年)1月31日 - 1994年(平成6年)まで、何と満百歳の長寿で、芥川より二つ下、誰よりも芥川を敬愛し尊敬した人物が84歳の時に書いた本。
 
この本には難解さと面白さという二つの要素があるが、小島を含め近代史を彩った文豪たちは頗る勉強家でり読書量も半端じゃない。
特に芥川は速読術を極めていたのか、本を読むのが早かった。
まあ、それはともかく小島は当時の文豪の文章論などを芥川と比較、その解釈というか読解力が凄い。
 
紅葉、露伴、鴎外、白鳥、漱石、志賀、谷崎などを引用し、それぞれの優劣を長々と語り、一読して読みの深さに愕然とした。
面白さという面でも友人だけあって当人しか知らないエピソード満載で、芥川との会話でこんな場面を書いている。
 
新潮社版、豊島与志雄訳の『ジャン・クリストフ』を読み始めたがどうしても最初の部分が退屈していると芥川に訴えたら、
 
「ゴッドフリードと云う叔父さんが出てきたか」と問い返され「いいえ、まだ出て来ません」「それじゃ、五六十ぺージのところを探してみたまえ。ゴッドフリードと云う叔父さんが出てくるから、そこから読み始めたらトテモ止められないよ」
 
と言われその通り読み始めたらとても止められなかったと。
私だったらそんな風に言えるだろうか?
それはそうと小島は芥川の養子問題に付いてかなり拘っている。
 
「露骨に言えば、彼には小説家に必要な生活がなかった。何故か。養子だからである」
 
養母からとても可愛がられた芥川は終生、養母に頭が上がらなかった。
小説家に必要な生活がなかったとは白樺派自然主義派に見られる生活感が芥川作品には皆無だということを言っているのだろうか。
確かに芥川の王朝文学や中国の古典のような話しは解り難い。
小島は、
 
学問で補えないのが小説なのだと
 
言い切っているが私にはよく解らない。
さらにこうも!
 
漱石の『それから』『門』『彼岸過迄』『心』『行人』『明暗』どれにも生活がなく小説になっているのは『坊ちゃん』と『道草』だけだ
 
では芥川はどうかと言うと
 
つまらない作品はないが、どれも小説となっていないので心を打って来ない、「物語」の悲しさ、面白いだけで終わってしまう
 
と手厳しい。
しかし、こうなってくると私のような浅学の徒には全く解らない。
佐藤春夫んはそれを知っていて、芥川に忠告している。
つまり芥川は名文を書こうとして、もっと大事なものを取り逃がしていると。
 
「それを佐藤は、窮屈なチョッキと云っている」
 
更に広津和郎の弁を引く。
 
「小説には名文は不必要なのだ。川柳に『娑婆しゃばと仏は疎みたまえども』というのがあるが、小説家の住むところは娑婆だ。娑婆の外に小説家の住むところはないのだ。娑婆とは人生だ。人生のすぐ隣に呼吸しているのが散文である」
 
広津は難しいことを言っているが谷崎はどうか。
 
「嘘を書いた小説でなければ読む興味を引かないと公言している」
 
東京下町で生まれた芥川は、裸になるのが不得手だったと小島は言いたいがために他の作家と比較しているのだが結局、芥川は嘘も書かなければ私小説も書かず、人前で恥をかくようなものを一度も書いていない。
そして少しずつ衰弱していった芥川の前に立ちはだかったのが志賀直哉ということになり、志賀によって小説とはどういうものか初めて知る。
知恵や知識では誰にも負けないと豪語していた芥川だったが志賀の芸術には完敗したと。
 
ところで芥川の体調はいつから悪くなったのだろうか?
小島はこのように書いている。
 
「或夏、室生犀星に誘われて軽井沢に行ったのが始まりだった」
 
或夏とは大正15年のことではないかと思うが。
芥川、室生と萩原朔太郎堀辰雄が集まった夏だ。
芥川と室生はひと夏、つるやという旅館を借りて生活したが、それが悪かった。
室生は早起きで午前中に必ず原稿を12枚書く。
一方、芥川は徹夜して1枚か2枚しか書けない。
軽井沢の夜は気温が下がり芥川の健康を害した。
不眠症に陥り、冷えが胃腸に来て下痢になる。
以前にも書いたがこの時、芥川はこんな手紙を書いている。
 
「この間の下痢以来痔というものを知り、あたかも阿修羅百臂の刀刃 一時に便門を裂くが如き目に合い居り候」
 
古今東西、下痢に関してこれほどの名文があろうか!
そして以前は会えば小説、詩、美術の話しが専らだった芥川が病気の話しばかりするようになり、斉藤茂吉に注意されていたタバコも止めず「バット」を吸い、箱に「スイート・マイルド」と書いてあるのを「吸うと参るぞ」などと言って一向に止めようとしない。
結局、小穴隆一と毎日、自殺の話しばかりして楽しんでいた。
どうかしてる!
 
そんなある日、芥川の運命を左右する決定的な事件が起こる。
宇野浩二の発狂、芥川の生母は精神分裂病の長患いで死んでいるだけに、一番恐れていた遺伝の病が彼の頭によぎる。
ショックを受けた芥川は宇野を斉藤茂吉の病院へ連れて行き驚くほどの看病をするが、その衝撃が彼の死を早めてしまったのか、宇野のようになる前に死ななければ。
 
追い打ちをかけるように姉の夫が債務を抱えたままで自殺して刑事問題に発展。
それら全ての処理が精神を病んだ芥川の肩にのし懸かる。
神経衰弱、不眠、下痢、片頭痛、幻覚、睡眠薬の乱用、体重は半減。
そして迎えた運命の日。
内田百閒は「芥川君はあまりの暑さのために死んだんだよ」なんて言っていたが、
私は、芥川の死に顔に向かって言った奥さんの言葉が忘れられない。
 
「お父さん、よかったですね」
 
これで全ての苦痛から取り除かれたのか。
出張先から帰って来た菊池寛は芥川の枕許で、短い手の甲を目に当てて突然子供のように声を出して泣き始めた。
以前、菊池は文芸春秋から金を出すから一年ぐらい遊んで療養しないかと言ったのだが芥川はそれを断っていた。
 
芥川夫妻は結婚した当初、鎌倉の大町辻にある離れに二人だけで一年住んだことがあり、晩年、芥川は「鎌倉を引き上げたのは一生の誤りだった」と言っている。
 
 
ともかく気が弱く養母に頭が上がらない芥川は小島と旅行する度に途中下車して何処かで遊んで行かないかといつも誘われたと書いているが、家に早く帰りたくなかったのか誰にでも遠慮した生活を送っていた。
奥さんのために初めから養家を飛び出し、二人だけで生活していればこのような悲劇は起きなかったと返す返すも残念だと小島は嘆いている。
芥川ほどの人物を見すみす死なしてしまったのは文壇の大損失。
戦後に於ける志賀、谷崎、芥川の関係を是非見たかった。
 
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