愛に恋

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夢声戦争日記〈第6巻〉昭和20年 (前編)

 
さてと、全く苦心惨憺、何とか第6巻を読了。
今回は昭和20年1月から6月まで。
しかし、この本、実に読み辛い。
何しろ夢声先生、どういう訳か文章の送り仮名を平仮名とカタカナの両刀使い。
さらには死語となっているような漢字にルビも振ってないという始末。
または無数に出てくる知らない地域名と友達、それに俳句。
因みに私は会員数、20万人を超えるある読書クラブみたいなものに所属しているのだが第6巻まで辿り着いた、または読んだ人は僅かに3人しかいない。
これでは絶版になるのも頷ける。
ともかくも感想文は書かなくては。
 
余談だが、日本には天下分け目の合戦というのが三つある。
壇ノ浦、関ケ原、鳥羽伏見だが、ある面、本能寺の変も歴史の大きな転換点だったが、その何れをも上回る激動の年というのが、この昭和20年だろう。
明治以来、先人達が営々と築いてきた大日本国を礎から全て瓦解せしめ、日本全国が焦土と化し、開闢以来、未曾有の大惨事を招いた結果を東條首相以下、指導者たちは、あの世で明治の元勲、元老、元帥たちに、どう釈明するのか全くの見ものだ。
 
まあ、それはともかく20年元旦から常識的に考えて空襲があるのは必然。
雑煮など食べて寛いでいる暇はないぞというわけだ。
戦争に休日はない。
危急存亡の幕開けである。
昔からこの時代の記録はかなり読んできたが、何れも政治家、または軍人の立場からのもので、民間人の側からの記録というのは、あまり読んでいないだけに貴重だ。
故に、今回は感想を全編、後編に分けたい。
全編は1月~3月、後編は4月~6月までと。
 
さて、元日こそ米軍にとっては打って付けの空襲日和。
新年早々、いきなりお見舞いする訳だ。
まだ、除夜の鐘が鳴り止まない零時五分に警報発令。
そして三時頃の高射砲と半鐘で起きる。
それが、夢声にとっての年明け。
しかし、11日にはこんな事が書かれていて面白い。
 
「坊やに九九を教える。何回やらしても駄目だ。四・五、二十の次はと言うともう分
 からない。四・九、三十などと言うからがっかりさせられる。私も斯んなに出来な
 かったかしらと省みる」
 
全体的に夢声という人は是が非でもこの戦、負けてはならんという固い信念はあるようだが、日々の暮らしに於いては楽観的に過ごしているようにも思える。
この時期、夢声の関心は専らフィリピン戦線。
山下将軍は米軍を市街の奥深くまで引きずり込んでおいて撃滅してくれるだろうと予測を立てていたが。
2月2日、友人たちとの話では。
 
「B29は丸の内の上等建築は残しておいて、米軍の役所として使うつもりだろう」
 
と、既に敗戦を予想しているような語らいだが。
2月16日。
 
坊やは庭で嬉しそう、富士子は廊下の日当たりで小説を読んでいる、高子、明子は部屋に籠っている、静枝は奥で寝ている。
私は二階で「不惜身命」を音読し始める。
そこへラジオ放送。
関東東部に敵の編隊、京阪南部で空中戦、伊豆方面から侵入。
高射砲がドンドン、バリバリやり出したので見る。
敵機らしいのが南方の空に落ちる。
 
いつもの事だが、夢声はどこか花火大会でも見ているような気持ちなのかと毎度思うのだが。
2月21日。
 
「思いもよらず山田耕筰氏から電話あり。来る28日夜、警保局長、藤田嗣治、実業家
 等々などと、一杯飲まないか、という誘い、喜んで承知す」
 
と、至って長閑だ。
その山田耕筰に対する印象が実に面白い。
 
山田耕筰氏は日本音楽界の大御所であり、作曲家として抜群の頭をもっている人で
 あり、軍の勅任嘱託となった人であり、日本文化人の最高指導者である訳だが、そ
 の人が大真面目みたいにお稲荷さんを信仰しているのは、なんだかヘンテコな心持 
 ちにさせられる」
 
いくら、戦況が不利と雖も、そこはやはり民間人の日記。
日々の感想を書かずにおられないのだろう。
そして運命の3月10日。
歴史に残る東京大空襲
その日。
 
「みな度を失っている顔つき。いろいろ語り合った結果、浅草観音が焼けてしまっ
 たこと、白木屋が焼けたこと、海軍病院が焼けたこと、汐留駅に山積してあった
 疎開の荷が焼けたこと、神田は全部キレイに無くなったこと、洲崎まで焼け抜けた
 こと、浅草もほとんど無くなったこと、巣鴨のあたりも、この前焼け残った所が皆
 焼けたこと、等々で大変だ。
 本所、深川、浅草などでは、夥しい焼死者を出したらしい。防空壕に入ったまま、
 蒸し焼きになったもの、子供を抱いたまま、母親が焼けて腕が骨だけになったもの
 惨憺たるものだという」
 
私はよく想像するのだが、飛行編隊の爆音、爆撃の凄まじさ、大火災、阿鼻叫喚
地獄絵図、そんなことは到底現代では体験出来ないので、どう考えても想像の域を出ない。
ましてや、一晩で10万人が死ぬなんて、一体、東京裁判で言う「人道に対する罪」とは何ぞ!
まあ、勝てば官軍なる故、勝者は何十万人殺そうが誰1人罪に問われることはないわけだ。
 
3月14日の日記。
アメリカ側はこんなことをしていたんですね。
ある面、アメリカ人らしいユーモアがある。
「十五日には新宿に参ります」と敵がビラを落としたという。
 
3月18日。
叔父夫婦が出雲に疎開するにあたって叔母が言った一言。
 
「思えば長い青山じゃった」
 
と、落涙した叔母。
叔父67歳、叔母64歳、青山に住んで40年。
切実ですね・・・!
この時点で夢声の自宅はまだ焼け残っている。
夢声は家の事を心配しながらも慰問旅行へ出かけ、何があっても日本の敗北だけは相ならんという考え。
それもまた良く解る。
しかし、戦局は逼迫しベルリンには赤軍が迫り、硫黄島はいよいよ最終局面を迎えようとしている。
後半は明日ということで悪しからず。
 
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