居眠り狂志郎の遅読の薦め

喰う寝る読むだけの素浪人です

夢声戦争日記 第5巻 昭和19年 (下)

 
 夢声戦争日記、第5巻は19年7月から12月までの記述ですが、どうなんでしょうか、
10月頃まではのんびり生活しているようにも思えてしまうのですが。
当然の如く、同時代に書かれた日記などでは政治家は政局や国際情勢を、軍人は戦況を書くわけですが、我等が夢声は専ら慰問旅行、漫談、家庭菜園、俳句、古本買いと、あまり危機感が無いような様子をだらだらと読まされるわけで。
 
それにしても夢声は読書家。
一体、どんな本を読んでいたのか、その一例を羅列すると。
 
「山と水」黒岩涙香
「良人の自白」木下尚江
「江木千之翁経歴談」
「自分を語る」小島百蔵
「大独逸国民史」アインハルト
「ゲシタルト心理学研究」
「車窓から見た自然界」(山陽道
 
この年、夢声は51歳。
いや、難しい本を読んでいるんですね。
だが、しかし夢声は戦争の帰趨について無頓着であったわけではない。
8月26日の日記にはこのように書いている。
 
アメリカの言いなりになっていたら、日本はジリ貧で二流国三流国になって了う。
だからこの戦争は絶対に回避できなかった、と指導者は言う。
然らばジリ貧と全土玉砕といずれがよろしき。
大和魂から言うと玉砕がよろしとなろう。
生物学的に言うとジリ貧をとれとなろう。
 
一方、趣味の俳句は膨大な数に上る。
例えばこんな。
 
我武者羅に南瓜のたうつ藪の中
秋の蠅忽ちおこる吾が殺意
庭に遊ぶ目白の群や大晦日
空襲を待ちつ飲みけり大晦日
 
 
とにかく、日記には南瓜がやたらと出てくる。
そして、いよいよ本格的な空襲が迫り来る中、夢声一行は11月17日から慰問旅行へと出かける。
これがまた長途の旅。
静岡・岡崎・名古屋・豊橋・金沢・小松・福井・高岡・新湊・富山・岐阜・関・
土岐津・岡山・倉敷・福山、そして12月9日から19日まで小倉。
道中、宿泊先の料理の良し悪しから酒、待遇と、事細かく書いている。
だが、一行が出張中の11月24日、小松駅で買った新聞を見るや。
 
「B29八十機帝都空襲!」
 
やっぱり来やがったな、と思う。大した感動もない。
杉並区の吾家は如何?、妻は如何?、などチラチラ考えてみるが、あまりピンと来ない。坊やの姿だけ一番はっきり浮ぶ。
なァに、私の家は大丈夫さ。
 
と、感想を述べているが、押しなべて国民の意識とはこのようなものだったのだろうか。
妻からも手紙で家の近くに爆弾が落ち、誰々が死んだの、あそこの家が焼けたのと言ってきているが、夢声はどうも「ピンと来ない」らしい。
あちらこちらで爆弾が落とされたという話しを聞いても実感が伴わない。
出先の本人は「風呂あり更に酒ありと聴いては、もう言うところなし」と平気の平太を装っているが。
あまり悲観的にならない証左としてこのように書いている。
 
人間の思想斯の如し。
平静なる時、興奮せる時、悄然たる時、同じ人間が同じ日の中に、幾度か変転する。
一椀の飯、一杯の酒、寒暖五度の差よく思想を左右する。
平静なる時の思想を当人の思想とすべきか、あらゆる場合の最大公約数をを当人の思想とすべきか?
 
なるほどね、置かれた状況によって人は態度を一変す、ということか。
また、こんなことも書いている。
俳優の滝沢修治安維持法だったかで逮捕されたことがあったが、滝沢は日記を付けていたため、これが証拠になって有罪になった。
しかるに、自分の日記も場合に拠っては災いになるやも知れぬと。
そして、いよいよ12月22日、小倉発東京行の帰京となるが。
 
門司駅で海軍の人たちが乗り込んで来たのをきっかけに、この列車は殺人列車となる」
とあり。
「やりきれなくなって吾等三人は広島で下車」
なんと、8時間立ったままであったとか。
トイレにも行けず、停車駅では窓から人が出入りする混雑さ、戦後のあの混乱期によく見る光景と同じ現象が早や始まっていたのだろうか。
子供の頃、父がよく私を列車の窓から中に投げ入れたのは、これの名残りか?
 
「藤沢で私のいる所の窓から、十人あまり人が飛び込んで来る。若い女二人、婆さん
 一人も転げ入る」
 
この時期、空襲により東海道線のあちこちで列車の遅れが相次いでおり、このような惨状となった模様だ。
そして帰宅後の12月27日。
 
「早い昼飯を喰ってると、空襲警報が出た。初めて出っくわす本格の空襲なり。
 ラジオの刻々と知らせるところを聞いてる中、うわッ、こいつ却々凄そうだぞと
 思う。なんだか交響曲の序曲を聞いているようだ」
 
と、他人事のようなことを言っているが、更にこんな独白もある。
 
「正直のところ、今日の空襲は面白かった。B29の編隊は美しい。味方機らしきもの
 三機落ちるのを見た。敵機らしきもの二機落ちるのを見た。敵機だと思って見て
 いる中に、落下傘で二人降りて友軍機と分かる。十五時半まで息もつけない面白
 さだ」
 
と、まるで映画でも見ているような塩梅だが。
家族はと言うと。
 
「この日の吾家で一番怖がったのは高子で、坊やは無闇に見学したがり、富士子は
 平気、静枝も平気である」
 
対岸の火事でも見ているような気持ちなのだろうか。
人間は破壊を見ると興奮するような習性があると聞いたことがあるが、その類か?
夢声は、空襲で家が焼ける可能性もあるのに、こつこつと古本を買うのは何のためかと自問自答しているが、帝都が空襲下に晒される事態をどう思っていたのか。
普通なら、いよいよ戦局が逼迫してきたと察するのは当然。
敗戦は絶対避けるべしという信念は持っていたが。
年明け、運命の昭和20年となるわけだが。
 
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