愛に恋

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夢声戦争日記〈第2巻〉昭和17年 下

 
 
さて、夢声戦争日記第2巻は昭和17年7月1日から始まる。
しかしである、徳川家では一向に戦争の気配が感じられない。
前編はまるで「夢声菜園日記」と見紛うような書き出しで、花が咲いた、アオガエルが来た、子供がトンボを捕まえたと何の変哲もない。
 
事態が動きだしたのは10月頃からで、昭南、つまりシンガポールを中心に東南アジアへ男女合わせて14人ほどが、慰問団として派遣されることになった。
団員は軍属ではないので慣れない船旅とあって不満が横溢している。
風呂は湯水を替えないので小便、大便が浮いている始末。
寝台は二段ベッド、狭いスペースの中だけが自分のテリトリーとある。
 
仕方なく碁を打ち、句会を催し、読書に耽る。
それにしても夢声という人はかなりの読書家で尚且つ読むのが早い。
とにかく私なら到底無理な船旅だ。
寒暖の差もさることながら敵潜水艦の攻撃が全員の悩みの種だった。
当時の噂ではやられる確率は三割五分。
 
攻撃は専ら夜が多い。
更に危険水域というのがあり艦内に連絡が入ると全員、魚雷命中に備えてパジャマではなく普段着のままで寝る。
上手くいけば海中で救助を待つことも出来るが問題はサメである。
勿論、護衛として駆逐艦がいるが、こんな状況では生きた心地がしない。
 
更に敵に発見されず、何処かの港に着いてもなかなか上陸許可が下りないといつまでも艦内に缶詰となる。
やっと上陸許可が下りても次は出航許可が下りない。
敵潜水艦の攻撃を受けたという連絡が入るといつまでも港に係留されたままになる。
そして遂に夢声は体調を崩し入院、胃癌も疑われ慰問団とは別行動になる。
因みに当時の南方軍最高総司令官は元帥寺内寿一大将である。
 
しかしまあ、艦内の食糧事情は酷い。
毎日、似たような物ばかり出る。
中でも団員を悩ませたのは鯨肉だ。
10月27日の日記にはこのような記述がある。
 
船に乗り込んでから、二週間、一日として鯨肉の出ない日はなし。
一行大いに悩まされて右の如き替唄など作り、合掌して鬱憤を晴す。
その効き目にや、翌日から数日間、鯨が出なくなりたるは可笑しかりし。
 
夢二の宵待草の替え歌になる。
 
まてどくらせど出ぬ肉の
あのナマグサのやるせなさ
今宵もクジラが出るさうな
 
全く笑える!
ところで夢声は至る所で日本人の所業を怒っている。
ある日本人の女性タイピストが英人捕虜を呼んで自分の靴を脱がせている場面。
 
「何を偉そうに」
 
と憎々しく思っていれば女衒によって連れて来られた何も知らない若い日本女性を気の毒がっているし。
際たるものは山下将軍と敵将パーシバル中将との会見。
私もあの場面は何度も見たが山下大将がテーブルを叩いて恫喝しているような映像はこのような遣り取りから来ている。
 
山下「只今御使いを戴いたのでここに参ったが、我軍は無条件降伏にのみ応ずる。
それについて承知か不承知かの返事だけを聞きたい」
 
パーシバル「翌日返答する」
 
山下「翌日とは何か、日本軍は今夜、夜襲をしますぞ、YES OR NO!」
 
場所はフォード工場となっているが実際、夢声はこの場所を訪れ、頭から怒鳴りつけた山下将軍の態度は、甚だ嫌であったと回想している。
確かに左右の幕僚をかえりみるパーシバルの表情は途方にくれたようで同情する。
つまり、夢声は、あそこまで怒鳴らなくてもと言いたいのだろう。
ともあれ一行は12月29日、マレーシアのクアラルンプールに到着し旅の疲れを癒やす。
そして第3巻は18年元旦からということになるわけだ。
まだまだ旅は長い、暫く付き合わなければならない。
 
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