誰も居ませんね!
静まりかえっています。
いや、そんなことはないです。
私の後ろには道行く人でいっぱいですが、誰もこの建物には関心を払いません。
何でしょうか、これは!
実は私、どうしてもこれを見たかったわけで。
そうなんです、第四師団司令部です。
戦前、確か名古屋城内には第三師団司令部あったと思いますが、名古屋城は戦災で焼けてしまいました。
当然、ここも爆撃の対象になりましたが辛くも戦火を免れ現在にその姿を留める貴重な戦争文化遺産です。
しかし、残念ながら中に入ることは出来ません。
ここを軍用車が走ってくるんですね。
正面玄関です。
当時はこの両側に着剣した衛兵が立っていたはず。
軍靴の響きが聞こえてきそうです。
軍装勇ましく、ここを多くの将兵が闊歩したとか思うと感慨ひとしおですね。
車寄せです。
師団長閣下の車が来たんでしょうね。
調べてみると昭和七年当時の師団長は寺内寿一で、ニ・ニ六事件の後、陸軍大臣になった人です。
裏に廻ってみました。
誰も居ません。
戦前は一般人の立ち入りは禁止されていたと思います。
建設年月日がありませんね。
大阪城ホールの屋根が見えます。
大阪師団の前身は大阪鎮台ですから、ここから萩の乱、佐賀の乱、西南戦争鎮圧のため出兵して行ったのでしょう。
ただし、この建物は昭和六年建造、満州事変の年ですね。
今や誰も訪れることのない第四師団司令部跡。
どんな人間ドラマが繰り広げられたのでしょうか。
いつまでも見入っていた私です。
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