愛に恋

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死刑執行人サンソン 国王ルイ十六世の首を刎ねた男 安達正勝

江戸時代、首切り浅右衛門といえば死刑執行人として、その名を現在に留めているが、代々、世襲制として山田家がその職に当たり、さしずめ今で言えば公務員ということになろうか。
では、アジア諸国やヨーロッパではどうなっていたのか、この職種ばかりは誰でも出来るというわけではなく、ある一定の技量と精神力を必要とするので親の仕事ぶりを見ながら徐々に慣れていくという不可思議な鍛錬が求められたようだ。
 
本来、どの国でも処刑人の名前など後世、覚えている人などいないものだが、ここに特異な人物だけは巷間広く伝わり今に語り継がれることになってしまった。
フランスの死刑執行人、シャルル・アンリ・サンソン、1635年から6代続き、不可触賤民といわれた社会の最下層集団で、その中でもフランス全土で働く処刑人を束ねる「ムッシュ・ド・パリ」と言われたサンソン家の4代目当主が、こともあろうに敬愛して已まないルイ16世の首を刎ねるという皮肉な運命を背負わされた物語がこの本。
 
これはどうしたって読まねばなるまい。
そもそも死刑執行人の叙任状は国王陛下から貰うことになっている。
故にシャルル・アンリ・サンソンの叙任状はルイ16世の名によって交付されている。
シャルル・アンリは敬虔なクリスチャンで王家に対する尊敬の念は揺るぎないもので家業自体が先祖伝来国王から委任されたものだった。
しかし、国王処刑に直面して、自分の職業に対する正当性の確信が根底から揺らぎ、更に恐怖政治がサンソンに追い打ちをかける。
死刑制度が存続する限りは誰かが執行を執り行わなければならない。
が、世間からは忌み嫌われる存在であり続けたサンソン家。
 
なぜそこまでサンソン家が嫌われたのか、それは革命前のフランスの刑法に問題がありそうだ。
まず、革命前のフランスは身分制社会で、第一身分が僧侶、第二身分が貴族、そして国民の98%の人民が第三身分ということに分けられていた。
過酷な税金を取り立てる貴族は税金が免除され、既得権益を守ろうとしたところに社会の歪みがあり革命に至った。
 
シャルル・アンリは革命には一定の理解を示していたようだが王政転覆は望まず立憲君主制を熱望していた。
カトリック信者として育った環境から「汝、人を殺すなかれ」という教えに背く仕事に常に悩まされていたが、実際には公開処刑上で拷問まで行う凄惨な儀式を代々、サンソン家を取り仕切って来た。
 
史上有名なところではルイ15世暗殺未遂で捕まったダミアンの処刑は凄惨を極めた。
サンソン家では跡継ぎが、まだ子供の頃から親に付いて拷問、処刑に至る経緯を教え、それでいて自然に感情を麻痺させていくわけだが、しかしどうだろう。
晒し刑、ムチ打ち、焼き鏝(ごて)、火炙りの刑、車裂きの刑、絞首刑、斬首刑に立ち会わせる。
因みに車裂きの刑というのは鉄の棒で各所を打ち砕いた後、水平に据えた馬車の車輪の上に死ぬまで放置するもので死刑囚は長時間にわたって大変な苦しみを味わうことになる。
 
さて、ダミアンはどのような刑に処せられたのか。
気の毒だが歴史の事実としてここに掲載したい。
ダミアンに用いられたのは八つ裂きの刑というもの。
この時、シャルル・アンリ・サンソンは処刑には関わっていないが18歳で立ち会っている。
 
まず、足枷を嵌め楔を八つ足に打ち込まれる。
一つ打ち込まれただけでダミアンは失神し、気を取り戻したところで順次打ち込んでいく。
足の骨が完全に圧し砕かれ、引きずられろようにして処刑台に連行される。
次に焜炉でダミアンの右腕を焼き、鉄製のやっとこで体の数カ所を引きちぎり、それぞれの傷口に順次、沸騰した油、燃える松ヤニ、ドロドロになった硫黄、溶けた鉛を注ぎ込む。
これで終わる訳ではない。
 
ダミアンの両手両足が、それぞれ四頭の馬の馬具に結び付けられ、ムチを打たれそれぞれの方向へ突進する。
しかし三度繰り返したが手足はちぎれず結局斧で脇の下と足の付け根に切り込みを入れて四肢は切断された。
この処刑を指揮したのはガブリエル・サンソンという人であまりの残虐さにこれ以後、仕事をすることが出来なくなり辞職したほどだが、しかし一方では公開処刑は市民にとっては娯楽の一部であったというから人間は解らない。
 
ローマ時代から処刑は確かに娯楽的な要素があったことは解るが現代人はこれをどう理解したらいいのだろう。
場合によっては斬首が上手く行かなかった時など、逆上した見物人によって処刑人が殺されるという事態も起きたらしい。
しかし、恐ろしきは人間である。
 
それら残虐行為に歯止めをかけるために考案されたのがギロチンというわけだ。
或る意味人道的で身分を問わず一瞬で首が落ちるという利点から積極的に採用された。
だが、国王処刑から二か月、革命裁判所が設置され、世は闇黒時代に突入。
1794年7月のクーデターで恐怖政治に終止符が打たれるまでシャルル・アンリ・サンソンは何と2700以上の首を落とすことになった。
毎日、40から50の首を斬るのである。
もうこうなったら流れ作業と同じ。
しかし、こんなことが本当に出来るのだろうか!
いや、出来てしまった、それが歴史の事実だとしたら何とフランス革命とはおぞましいものなのか。
 
因みにルイ16世は錠前作りと狩猟が趣味のきわめて真面目で善良な人だったようだ。
愛人を持たず拷問の廃止を許可した君主だったが時代の荒波には逆ら得られず刑場の露と消えた。
シャルル・アンリ・サンソンは国王に3度対面し、その3度目が断頭台の上という、まさに稀有の運命を背負った一生だった。
 
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