居眠り狂志郎の遅読の薦め

喰う寝る読むだけの素浪人です

蜜蜂・余生 中勘助

 
年間を通して、中勘助の『銀の匙』だけで国語の授業を行うという、一風変わった中学教諭の話しを聞いたことがある。
教科書を使わず『銀の匙』一冊あれば、こと足りると先生はテレビで言っていたが、そんなことが可能なんだろうか、私には解らない。
今や中勘助と言えば銀の匙銀の匙と言えば中勘助だが、私は中勘助作品をこれしか読んだことがない。
その昔、元カノが私の書棚からこの本を持っていき、感想を訊いたところ痛く感動したと言うではないか。
私の感性がやや足りないのかと訝しんだものだが。
 
ところで最近、『中勘助の恋』という本が存在することを知り、興味を抱いていたのだが、岩波文庫に『蜜蜂・余生』という作品を見つけ在庫があるかどうか紀伊国屋に行ってみると、あるではないか。
で、一読、書評では随筆となっているが、明らかに日記形式で、かなり異なものを感じた。
記述は昭和17年4月11日から10月27日までの事で、全編これ、嫂のことで終始一貫している。
嫂、つまり兄嫁だが、作品中では姉で統一されている。
正しくは義姉ということになる。
何が異なのかといえば日々、嫂の思慕の念で貫かれている点だ。
自分の嫁ではないのに何ゆえここまで愛情こまやかに書くのか。
また、今日も長くなるのかどうかこの時点では分からないが少し余談を挟みたい。
 
文久三年八月十八日、京都で政変が起きた。
八・一八の政変である。
御所九門の警備を会津・薩摩・淀藩兵で固め、長州藩士の出入りを一切遮断。
急進的な尊皇攘夷論を掲げ、京都政局を主導して来た長州藩は都を追われる。
政治的な主導権を失った長州では事態打開のため議論百出。
積極論を唱えたのは来島又兵衛で慎重派は高杉らだったが、結局、積極論に押し切られ長州勢は京都を目指す。
 
久坂玄瑞長州藩の罪の回復を願う嘆願書を持参していたが、最終的には来島に引き摺られ挙兵、御所に殺到した。
時、元治元年七月十九日のことである。
ここに大阪夏の陣以来の太平の世を破る凄まじい激闘が繰り広げられることに。
戦火により約3万戸が焼失する大事件となった。
特に激しかったのは会津と桑名が守る蛤御門で来島隊が乱入。
急を聞き付け駆け付けた薩摩勢が援軍に入ると形勢は逆転。
猛将、来島又兵衛は自害。
 
久坂玄瑞寺島忠三郎と互いに刺し違えて自害。
久坂に藩主世子への伝言を頼まれた入江九一は脱出しようと塀を越えたところで越前兵の槍を顔面に受けて死亡。
その入江九一の弟に野村靖という人がいる。
維新後も生き延び、神奈川県令、逓信大臣、子爵となった人物だが、その娘、末子が即ち、勘助の日記に登場する嫂ということになるのだ。
 
末子の夫、金一と弟の勘助は、どうも確執があったらしい。
日記によると、かなり横暴で末子には辛く当たったとある。
本のタイトル『蜂蜜』というのは末子が働き蜂のように結婚以来、40年間、兄に尽くして報いられることのない人生を送って来たというような意味合いかと思う。
しかし、それにしても微に入り細を穿って嫂を愛すること痛々しい。
 
先にも書いたが日記は4月11日からだが、嫂は4月の3日に亡くなっている。
どうも、くも膜下出血に三回ほど襲われ、晩年は寝たきりだったようだ。
肝心の兄も脳出血で寝たきり。
ところで、以前はくも膜下出血の事を、蜘蛛膜下の溢血と言ったのだろうか。
本にはそのように表記されている。
さて、勘助が何を書いているか詳しく見てみよう。
 
4月29日
想い出は潮(うしお)のように湧いてくる。
歳月はひく汐のように凡てを洗い去った。
 
5月4日
私たちはもともと見ず知らずの二人だった。
それがはてしない空の真ん中で、偶ま嵐にふきよせられた渡り鳥のように出会った。
四十年の苦難の友。
 
7日
コレヒドールが落ちましたよ。泣く。
 
コレヒドールとはフィリピンのコレヒドール要塞のことで指揮官は本間正晴中将。
 
9日
姉はまったく文字通り一生懸命に家のために働いてくれた。
隅ずみまで行き届いて世話をしてくれた。
それゆえ思慕する者の目には家じゅう至る所にその幻が立ちまた座っている。
 
14日
艱難汝を玉にするという言葉が文字どおりあてはまるのは姉の場合である。
 
6月1日
姉の記憶はあっさり記憶と呼ばれるにふさわしくないほど鮮明に、いわば体温をもって私の前に生き残っているのだ。
 
7月2日
私がこの笛を吹いたら姉は梓弓の音にひかれる魂のようにもう一度帰ってくるのであろうか。
 
上手いこと言うね!
 
16日
始終姉の気の毒な一生を思いかえしている。
こう書きながらも涙が滲み出てくる。
 
勘助は嫂を思いながらかなり孤独な生活送っていたのだろう。
10月27日にはこう書いている。
 
父の歿後、兄さんの最初の発病以来。三十三年のあいだに母を見おくり、あなたを見おくり、今また兄さんを見おくって、家族に関するかぎりやっと私の役目を果たした。
 
どうだろうか!
この嫂に対するひたむきな思い。
これはもはや恋と言っていい。
嫂のことしか書いていない本なのである。
一体に、中勘助という人は、ある意味、純粋過ぎる人だったのだろうか。
記録によると野上弥生子の初恋の人とある。
勘助は漱石門下で、今で言うイケメンだったという話しも伝わっている。
いっその事、兄と離婚して勘助と結婚すれば、すべて丸く収まったのか。
 
最後に、もう一遍の『余生』という作品は、どうも勘助が署名入りで、この『蜂蜜』を知人友人へ送った返礼の手紙が数多く載っているのだが、その中にこんな詩が。
 
雨も悲し 風も悲し 照る日もまた悲しかりけり
四十年 嵯峨たる行路 われを守り われを導き
沮喪する我を励まし くずおるる我を起たせ
狂気より癒やし 死より救い 友となり 母となり
手を携えて歩み来し人 たぐいなき善良
柔和の人は ゆきて帰らず 旅立ちたれば 
夜も悲し 昼も悲し 朝ゆうもまた悲しかりけり
 

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