愛に恋

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城中焼亡埋骨墳

 
城中焼亡埋骨墳
「じょうちゅう、しょうぼう、まいこつふん」と書いてある。
この辺りは旧大阪城内になるのか。
 
慶応四年の一月、旧幕府軍の本拠地だった大阪城が新政府軍に引き渡されるに際し、これを潔よしとしない幕臣たちは、城内に火を放ちここで自害して果てた。
敵方の薩長軍の兵士が彼等の遺骨を埋葬し武士の鑑としてこの石碑を同年七月に建立したらしい。
 
私の記憶では確かこうだ。
 
鳥羽伏見の戦いは慶応四年の正月明けの三日ごろからだったか。
惨敗した幕府軍は形勢を立て直すため一端、大阪城に退却。
この時、将軍慶喜も二条城から大阪城に戻った。
 
東征してくるであろう薩長軍をここで迎え撃つと思っていた幕府軍であったが夜陰に紛れて慶喜は城を脱出、江戸に逃げ帰る。
この祭、強硬に反対する京都守護職会津中将松平容保京都所司代松平定敬を共に説得し江戸に連れ去る。
二人は兄弟。
 
将軍慶喜の恐れは朝敵になることの一点のみ。
それを悲観しての幕臣達の自害であったか。
この年、西暦では1868年。
 

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