かの子繚乱 瀬戸内寂聴

 
瀬戸内寂聴という人は伝記文学の名手だ。
どの本を読んでもこちらをぐいぐい引き込む。
この『かの子繚乱』も傑作の一つだろう。

昭和の30年代だと記憶するが文豪谷崎に会いたいがため、舟橋聖一に仲介を頼んだと何かで読んだが、その谷崎の学生時代、同級生に大貫晶川(本名は雪之助)という才能ある作家が居たが若くして病没した。
この大貫の妹が岡本かの子である。
かの子は兄の影響や谷崎への憧れもあって作家を目指し、何とか谷崎に近づこうとするが、谷崎は徹頭徹尾かの子を嫌っていた。
同級生だった大貫の家に泊まりに行って、かの子が給仕に出てきた時、一言も口を利かなかったとか。
こんなことも言っている。

「実に醜婦でしたよ。それも普通にしていればいいのに、非常に白粉デコデコでね、着物の好みやなんかも実に悪くて」
 
と、もうぼろくそな言いようである。
谷崎のかの子への嫌悪感は、その容貌だけではなく存在そのものに対する生理的なものだったとか。
また、4年間の外遊から帰ったかの子は、町で会った友人に日本人の無作法ぶりをこう訴えている。

「いま私が銀座を歩いて来たら、みんなこっちを見て振り返るのよ。本当に無作法でいやだわ。外国じゃこんなこと絶対になくってよ」
 
その日、かの子の服装はと言えば真紅のイブニングドレスだった。
時は昭和初期、誰だって振り返るだろう。
更に、円地文子もこのように書いている。

「ねえ円地さん、小説を書いていると、器量が悪くなりはしないでしょうね」

しかし、このような度を過ぎた自意識過剰も夫の一平には童女のように見えたとあるが。
当時、かの子の生活は大変奇異なもの。
夫の他に二人の愛人と同居。
一平が下で二階に愛人を住まわせる離れ業。
しかしこれが意外と上手く機能していたから話しがややこしい。
そもそも一平が彼女に結婚を申し込んだ時、かの子の母親曰く!

「岡本さん、この子をお貰いになってどうする気です。取り出せばいいところのある子ですが、普通の考えだと随分苦労しますよ」
 
と言われたとか。
嵐山光三郎は書く。
 
「世にも稀な芸術一家」などと言われた岡本家の現実は『芸術の園』などではなく自己愛まるだしの女流作家と、その女に仕える二人の同居人と、一人のマネージャー、演出家たる夫の暗く澱んだ精神病棟のような家だった。
 
と結論付けている。
本書はこのあたりの経緯をこと細かに書いて怠りないが、岡本かの子という女性そのものが小説の題材として成り立ち、読者を惹き付けていることに彼女自身、あの世でどのような反応を示すか興味は尽きない。
かの子は50歳を前にして逝ったが晩年の作『老妓抄』にはこんな歌がある。

年々にわが悲しみ深くしていよゝ華やぐ命なりけり

これは名文だ!
 
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