愛に恋

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ハマクラの音楽いろいろ 浜口庫之助

 
私の場合、物心付いて最も古い記憶のヒット曲と言えば守屋 浩の『僕は泣いちっち』だろうか。
ちょうど、『ダッコちゃん』『フラフープ』が爆発的人気を誇っていた第1次池田内閣時代のことで、当然のことながらテレビに出ている人だけが有名人で作曲者のことなんか考えたこともなかった。
 
ハマクラこと浜口庫之助さんを知ったのがいつの頃か今となっては思い出せないが、年の差婚で美人女優の渚まゆみと結婚したことは何となく知っていた。
つまりハマクラさんに対しての知識はその程度のもので、後年、ハマクラさんへの認識を一変させたのは高田恭子が歌った『みんな夢の中』と、にしきのあきらの『もう恋なのか』の作曲者だと知った時からだった。
 
昔からこの2曲が大好きで、まさか、あのハマクラさんが作者だったとは長い間知らなかった。
こんな心優しい琴線に触れる曲を書く人だったと知って略歴を調べてみると何と!
 
・僕は泣いちっち
・涙くんさよなら
・愛して愛して愛しちゃったのよ
・星のフラメンコ
・バラが咲いた
・夕陽が泣いている
・夜霧よ今夜も有難う
・花と小父さん
・空に太陽がある限り
・恋の町札幌
・黄色いさくらん
・恍惚のブルース
・愛のさざなみ
 
など、多くのヒット曲を手掛けた人と分り改めてその才能に驚いた。
ハマクラさんが亡くなったのは1990年12月2日。
その翌年、唯一の著書である本書が出版されたが長く絶版状態にあったものをこの度復刊と聞いて、早速購入したわけだ。
 
余談だが私の父は大正5年生まれの七人兄弟で、ハマクラさんは大正6年生まれで七人兄弟。
戦後、父はアコーディオン奏者として横浜でバンドマンをしたいたらしいが、ハマクラさんはギター弾きとしてバンドマンとなったとある。
ただ、その後の違いは歴然で父は音楽の道に進まずハマクラさんは昭和28年から3年連続で紅白に出場、元は歌手だったとか。
そして『僕は泣いちっち』を皮切りに作曲家として大成功。
そんなハマクラさんの、こんな言葉を聞いたら現代のアイドルたちはどう思うか!
 
テレビは素人を甘やかした。
力のない素人を、その気にさせ、使い捨てにしている。
本当のプロというものは、ハンディがないということを知らなければならない。
プロとしてやっていける人、つまり天分があり、努力して、何か新しいものを創造できる人というのは、数多くいるわけではない。
一人の天才の出現は、底辺を広げ、次の天才を生み出すのだ。
 
ところで寅さんシリーズが始まる前、渥美清主演で『拝啓天皇陛下様』という松竹映画があったが、これを見ると錚々たる役者が出演していて驚くが、何と、問題の天皇陛下をハマクラさんが演じたと書いてあるが、私としてはすっかり失念している。
そのハマクラさんが再婚したのが昭和48年でお相手は27歳年下の渚まゆみというわけだが翌年生まれた子供はハマクラさん57歳の時の子供になる。
先日、阿川さんの第4子が51歳の時と書いたが、それを上回ること6歳。
尤も、あんな色っぽい奥さんではさもありなん。
 
ところで、どういう訳か最近のJポップには哀切、または哀愁を感じないが、これはひとえに昭和歌謡を作ってきた人たちが戦中派だったことが起因しているのだろうか。
戦火の中を生きぬいてきた者が感じた人生の儚さ、その無常観のようなものが昔の曲にはあったと思うがハマクラさんも言っている。
 
はかなさも分からなければならない。
 
更に歌手に対しては!
 
技術的な問題が大事なのではなく、聞く人の、心を打つような情感が込められているかどうかが重要なのだ。
 
そこなんですよね
例えば3年A組、B組、C組と何十人で歌われても情感というにはほど遠い。
人の心に響く、つまりお遊戯的に歌われて哀愁を感じることは出来ない。
いずれにしてもハマクラさん世代の人は全て歌謡界から去った。
今年は浜口庫之助生誕100年、厳しいお叱りをする人はもう存在しない。

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写真は右から川内康範浜口庫之助勝新太郎水原弘

本当に浮世はみんな夢の中ですね!

 
 
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