居眠り狂志郎の遅読の薦め

喰う寝る読むだけの素浪人です

不屈の横綱 小説 千代の富士 大下英治

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あれは、いつの事だったか?
30歳を少し出た頃だと記憶するが、その日、名古屋栄町のとあるホテルのラウンジでコーヒーをひとり飲んでいた。
入店した時には気付かなかったが隣の席に大鵬親方が座っているのを見て驚いた。
お連れさんが二人、おそらく奥さんと娘さんだと思うが、暫く談笑していたかと思う間もなく親方はひとり立ち、フロントの方へ歩きかけ、どうやらエレベーターに乗る気配。
私は勇気を振り絞り小走りで親方を追いかける。
そして、後ろから声を掛けた。
 
大鵬さん、すいません。サインをお願い出来ませんでしょうか!」
「おう」
「あのぉ、手帖しか持っていないので、これでお願いしたいんですけど」
 
と、手帖とボールペンを差し出す。
知っての通り、当時の大鵬さんは病気を患い、左手が不自由だった。
故に大鵬さんは私に命令口調でこう言い放つ。
 
「しっかり持っとれ」
「はい」
 
サインをして貰っている間、私は大鵬さんの胴回りを目測していた。
両腕で抱え込んでも、恐らく背中で私の掌が合わさることはない程の体格。
風格、物言いといいこんな人に怒鳴られては堪らないと私は怖気づいてしまった。
その懐かしの大鵬さんも平成25年1月19日に亡くなられた。

27年11月20日には還暦土俵入りを済ませて間もない北の湖理事長も鬼籍に入った。
更に、翌28年7月31日に千代の富士も召され、不幸は続き今年4月27日、元理事長の佐田の山も逝ってしまった。
たった4年余りで元横綱が4人も他界した。
千代の富士の宿敵、隆の里も既に平成23年11月7日に旅立っている。
今頃はあちらで双葉山を中心に春日野さん、二子山さんと横綱会でも作って睨みを効かせているのだろうか。
 
相撲ファンの私としては寂しい限り。
今でも忘れられない、あの春日野さんの訃報を聞いた時の二子山さんの涙。
将に鬼の目にも涙だった。
さて、前置きが長くなったが大横綱千代の富士が亡くなったので急遽復刊となった今回の本。

私と千代の富士は同時代を生きてきたなんていうもんじゃない。
私が知る唯一無二の同年同月同日生まれなのである。
しかし、同じなのは誕生日だけで、二人の差は天と地。
あちらは国民栄誉賞、片やこちらはぺんぺん草。

だが、そんな不思議な縁(えにし)もあって私は彼の熱烈なファンだった。
いや、理想的な横綱だった。
だから、供養の意味合いもあって書店で見つけ即買い。
思えば私の相撲ファン歴も約40年。

北の湖・輪島時代まで溯るが、千代の富士、本名秋元貢少年に相撲入門の話しが持ち込まれたのは昭和45年7月末とある。
運動神経抜群な少年がいると聞いて若狭先生なる人物が学校を訪ねて来られた。
その若狭先生が郷土の英雄、横綱千代の山を発掘した当の本人ということだが、貢少年に「どうだ、相撲取りになる気はないか」と持ち掛けた。
しかし貢少年の答えは!
 
「オラ、好きじゃねぇだ」
 
と、相撲には全く感心のない素振り。
貢少年の当面の目標は高校に上がって陸上部に入ることだった。
だが、後年、千代の富士も語っていたが、地方巡業で乗り込んで来た九重親方、つまり千代の山に再三口説かれ、この一言で決まってしまった。
 
「飛行機に乗って、東京へ行かんか」
 
さらに8月23日、運命の人、貴ノ花に会って励まされる。
しかし、この本は読むに連れ実に感慨深い。
忘れかけていた千代の富士時代の力士たち。
数々の熱戦が脳裏を横切る。
 
56年の北の湖戦、本割で吊り出され、決定戦で上手出し投げで勝った一番。
苦手、隆の里にまさかの8連敗を喫したあの頃。
寺尾を豪快に吊り落した後の表情。
若島津との息詰まる熱戦。
北勝海と史上初めての同部屋横綱決戦。
昭和最後の相撲となった54連勝を懸けての大乃国との大一番。
そして引退の場所、運命の貴乃花戦。
度重なる脱臼や愛娘の死。

あの時代の事が鮮明に蘇ってくるようで心熱い。
相撲界初の国民栄誉賞
 
「体力の限界・・・、気力もなくなり引退することになりました」
 
と涙の引退会見。
あまり知られてはいないが、あの涙の理由は会見直前に部屋にやって来た後援会の鈴木宗男代議士の涙に吊られたものらしい。
引退した年だったと記憶するが私も行ったんですよね。
名古屋千種区にある九重部屋宿舎相応寺の朝稽古を見に。
僅かに千代の富士の姿を目にしたあの日。

しかし、運命の不思議さとでも言うか、人生の岐路、決断の大切さを千代の富士の生涯を見ていてつくづく痛感する。
悲しいのは、あれほど頑健だった千代の富士が私みたいなひ弱な人間よりも早く逝ってしまったことだ。
 
千代の富士のいない世の中、信じられないというのが正直な感想になる。
同日に産声を上げたヒーローの死。
本当に哀しい。
現理事長の弟弟子、八角親方は会見で涙をこらえ、このように述べている。
 
「幕下のころから稽古をつけてもらって、力を抜いてくれなかった
ありがたかったですね。
私にとってはそれが一番の思い出ですね。
ゆっくり・・・、まあ、何年か経って二人でゆっくり飲みながら、もう一度話してみたかったなあと思いますね」
 
最後に、千代の富士従四位の叙位と旭日中綬章の叙勲を賜っている。
余談だが昭和46年の秋場所は9月12日から始まっている。
相撲の初日は日曜日、偶然、私はこの日のことを今以ってよく記憶している。
千代の富士はこの場所、西序二段二十五枚目の位置。
私はというと秀吉が生誕した名古屋中村公園で生まれて初めてのデート日だった(笑
そんな浮ついた事をしているから駄目なんですね私は。
 
 
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