愛に恋

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ヒトラーの裁判官フライスラー ヘルムート・オルトナー

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大体からして私にナチズムの法理論などが解るはずがない。
では、何故読むのか!
そこに山を見つけたからである、などと言えばカッコいいが、それほど能力もない登山家だが欲だけは一丁前だから困る。
しかし、どんな山を登るにも体力は必要。
更に独学素人の登山家だけに下山時にはへとへとになる。
 
まあ、それはさておき最近、白水社からヒトラー関係の本が三冊出た。
 
ヒトラーの裁判官フライスラー 3,400-
ヒトラーの元帥 マンシュタイン(上・下)10,800-
ヒトラーの絞首人ハイドリヒ 5,184-
 
と、いずれも高価な本で情報量満載、本来なら素人が手を出すようなものではないが読んでみたいという欲求には駆られる。
歴史好きの泣き所は、本などいくら読んでもそれを体感出来るわけではなし、結局のところ永遠に理解出来ないと言う悩ましさかも知れない。
例えば、国家が滅亡するとはどういうことなのか。
または敗戦の憂き目に遭う、侵略される、革命が起きる、クーデター勃発。
昨日までの価値観がひっくり返る。
そして前政権の指導者たちが逮捕され処刑される。
 
歴史への飽くなき追及は、結局は徒労に終わるのだろうか。
だが、資料が提出されれば手に取りたがるのも性分。
まあ、地道に行くしかあるまいて。
ところでだ、何故、ナチなのか!
理屈は簡単。
 
エリート官僚や高等教育を受けた者が、どうしてあのような狂信的な集団に入党したのか理解できないからである。
一説にナチ党員、800万人というが途方もない数である。
博士、教授、政治家、医師、弁護士、検事、裁判官、将軍と何故、ヒトラーを礼賛し信奉したのか。
無論、第一次大戦の敗北を味わった当時のドイツ人の価値観に即して顧みないと事態は見えてこない。
人間が持つ矛盾、それを解明するのは容易なことではない故に読むしかないとも言える。
 
さて、今回の主人公はローラント・フライスラー、日本人にはあまり馴染みのない名前だろうか。
熱狂的なナチ党員でヒトラーを崇拝し滅亡間もないドイツにあって最後まで職務に忠実であった裁判官だった。
私の知りたいのはまさしく、こういうタイプの人間の心理なのだ!
フライスラーのような学識高い人物をして何ゆえヒトラーを盲信するのか。
簡単にフライスラーの経歴を書いておく。
 
1893年12月30日生まれ
1921年、最優秀の成績で法学終了、法学博士となる
1923年、ベルリンで一級司法国家試験合格
1924年、帝国大審院弁護士に任命
1925年、ナチ党に入党
1932年、帝国議会議員
1933年、プロイセン司法次官
1934年、帝国司法省司法次官
1942年、人民法廷長官
1945年2月3日、死亡
 
ところで33年政権獲得後のヒトラーはこんなことを言っている。
 
我々は、自分たちが民主主義に立脚する代表であるとは一度も主張していない、我々が公言してきたのは、我々はただ権力を獲得するために民主主義を用いるということである。
 
合法的に連立政権の首班になったその後が問題なのだ。
議会民主主義の解体と全権委任法。
これこそはファシズムの道を開くものだが当時のドイツ人は敢えてその道を選んだ。
 
一つの民族、一つの帝国、一人の総統、そして一つの司法
 
その結果、ナチへの忠誠を誓う大合唱の職掌団体は遅れをとるわけにはいかずと雪崩を打ってナチに入党する。
プロイセン法曹協会」「ドイツ公証人協会」「ドイツ弁護士会」等々。
そして運命のその日、1933年3月24日「全権委任法」が承認されワイマール共和国は終焉を迎える。
結果、司法界では何が起きたか。
 
マルクス主義政党、ドイツ社会党、ドイツ共産党の弁護士は免許剥奪。
勿論、非アーリア系は論外だ。
大都市では裁判官の10%がユダヤ人だったが総て粛清された。
では、フライスラーはその中で何をしたか。
 
ナチスの「民族革命」に与しない者は「裏切者」「民族の敵」と決めつけ、それを裁く人民法廷の最前線で闘った男、即ちローラント・フライスラーということになる。
フライスラーは特に政治犯を嫌い、即決裁判を旨とした。
24時間以内に起訴され、24時間以内に判決が下され有罪を受けた者はは直ちに処罰。
通例として情状酌量は認めない。
 
性質上、この本が難解なのはどうしてもナチズムやフライスラーの法理論を読まなければならない点で、なかなか頭に入らない(汗
例えばこんな理論。
 
「健全な民族感情に反する非ドイツ的法解釈」
 
つまり三権分立は正常には機能していない。
一応、弁護人はどの裁判でも出廷するが選任の権限は裁判長が握っている。
即ち法廷ではフライスラーが全権を掌握し絶大な権力を行使した。
故に弁護士と雖も監視の対象とされている。
 
そして運命の日、1944年9月20日のヒトラー暗殺未遂事件。
ヒトラーは過去、40回程の暗殺計画を総て生き延び、この時も計画は失敗した。
結果的にフライスラーの名はこの事件によってドイツ史に深く刻まれたと言っても過言ではない。
国防軍人による暗殺未遂事件を軍法会議ではなく人民法廷で裁く、ヒトラーがそれを望んでいたからだ。
 
事件に関与した高級軍人は悉く逮捕され、凄まじいゲシュタポの拷問が待っていた。公正な裁判などは無論期待できない。
フライスラーが目指したのは敵の殲滅。
徹底した狂信主義の使命感持って犯人たちを断罪。
フライスラーが死刑と言ったら死刑なのだ。
一度、聞いたら忘れることが出来ない、あのテノール歌手のような大怒号。
身を乗り出し、興奮し、被告を罵り、貶め、有無を言わず容赦なく罵声を浴びせる。
何かに憑りつかれたような気迫で将軍たちを罵倒するフライスラー。
判決はドイツ民族の名において総統の期待通り全員死刑。
 
即決裁判で壮絶を極めたのは、その処刑方法だ。
後ろ手に縛られ食肉用大型フックに吊るされる。
ヒトラーの命令は「奴らを畜肉のように吊るすのだ」
これら裁判記録や死刑執行の断末魔の模様は全て撮影されている。
 
フライスラーの凄さは信念の貫徹にある。
譲歩という妥協を知らない国家主義者で、ヒトラー政権の終焉が目前に迫っても信念の濁りは一切なかった。
あらゆる政敵を殲滅し、自らの結末がどうあろうともお構いなし。
つまりは第一次大戦敗北の教訓「背後からの一突き」を徹底的に弾圧することに身命を懸けていたようにも映る。
 
だが、フライスラーはベルリン陥落を見ることなく1945年2月3日の大空襲で命を落とした。
その日、700機の爆撃機が2000トンを超える爆弾をベルリンにばら撒いた。
死者20,000人以上。
フライスラーには息子が二人居たが、その後の人生、または父親が行ったことをどう思い生きて行ったのだろうか。
この手の本を読んだ時、いつもその点だが気になる!
 
因みに戦後の西ドイツ、アデナウアー政権では多くのナチ司法関係者が復職した事実、これをどう受け止めたらいいのか、大いなる矛盾を感じるが。
 
今日、記録に残る人民法廷が言い渡した死刑判決、実に5243件!
 
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