愛に恋

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どこかでベートーヴェン  中山七里 

中山七里だろうが箱根七里だろうが拙者のあまり預かり知らぬ作家なのだが、これまでに2冊の関連本を読んでいる。
ピアニストの岬洋介が難事件を解決する『さよならドビュッシー』と『いつまでもショパン』だが、この作家、よほどクラシックの造形が深いのか音譜を文章化する術に長けている。
どの場面でも言えることだがピアノ演奏をいくら親切丁寧に書かれてもクラシックに疎い人には全く解るまい。
 
妻はエレクトーン教師らしいが本人がどの程度弾けるのか、そのあたりはよく分からない。
だが、それ以上に目を見張るのは、小学生でコナン・ドイルシャーロック・ホームズ、アルセーヌ・ルパンを読み尽くし、中学になるとアガサ・クリスティ、エラリー・クィーンとなり、そして横溝正史、乱歩と有名どころを全制覇とある。
 
やはり、一般人とは集中力が違うのか法律関係もかなり詳しそうだ。
さらに驚いたのは、文中、音楽教師が生徒に言い聞かせる天才と凡人の違いを諭す場面、大いに説得力があり、この作家の非凡性を垣間見せている。
岬洋介はまだ17歳の学生で、事件そのものは、それほど入り組んだ複雑なものではないが読みどころはやはり芸術を志す人間の才能論に尽きると私は思ったが。
例えばこんな説諭している。
 
音楽ほど将来性の見えないものはない。才能と努力と成果が期待通りには結びつかない。当たりよりは外れが多く、運とコネが大きくモノを言う。また運とコネがあっても成功するとは限らない。水物で摩訶不思議で、何か魔物のような意志が働いているとしか思えない瞬間がある。
 
ホント、仰る通り!
また、こうも言う。
 
音大ってのは本当に神童や天才が掃いて捨てるほどいるんだ。しかも並の天才じゃなく、先生ごときがどんなに頑張っても尻尾すら掴めないようなバケモノたちだ。結局そういう天才たちが院に上がるなり留学するなりして、プロの道を進む。天才じゃなかった先生は、今こうしてお前たちの前に立っている次第だ。だから余計に思う。
才能はとても残酷だ。凡人の気持ちを踏みつけにしながら厳然とそこに存在する。
 
う~ん、素晴らしい洞察力、感心しました!
更に!
 
お前たちの考えている民主主義だとか平等とかがどんなものかは先生は知らない。
だが先生は自信を持って言えるのは、こと芸術の領域では民主主義も平等もクソの蓋にもならんということだ。才能も実力も実績も不問。自分に優しい世界が欲しいだけなら、今すぐ音楽科クラスから出ていってくれ。
 
このぐらい吐き捨てる先生じゃなくちゃな!
そして!
 
音楽科クラスに在籍しているからには、みんなそれぞれ音楽家に夢や希望を抱いているはずだ。著名でなくても、専業でなくても音楽で身を立てることができたらと誰もが一度は考えたはずだ。いや、きっと今も考えているだろう。だがな、夢を追うことと夢で生きることは似ているようで全く別物だ。
(略)何でもそうだが特定の才能を必要とする世界で成功するのはバケモノだけだ。
普通の人間には到底できることじゃないし、神様が微笑むのはほんの一握りでしかない。
 
なるほどね!
その最たる例が昨今では将棋の藤井四段というわけだ。