愛に恋

    読んだり・見たり・聴いたり!

名所旧跡ブラ写真

猿回し

先日、とある神社に行った折り、猿回しの興行に出くわした。 初めに、猿使いのお兄さんが「この中で、猿回しを見たことのある人いますか?」と、訊くと観客の中から手を上げた人は1名しかいなかった。 そりゃあそうだろう、猿回しなでは誰でも知っているがテ…

豆の樹

特段何の変哲もない山小屋風喫茶レストラン豆の樹。 だからなんだって! ここが女優山口果林と阿部公房が待ち合わせの場所として使っていた店です。 二人は長きにわたって不倫関係にあり、とにかくアッチの方も含めて相性が合ったようです。 店内は手前が喫…

耽美頽唐

「かにかくに 祇園はこひし寝るときも 枕のしたを水のながるる」 祖父に薩摩藩士伯爵吉井友を持つ、「ゴンドラの唄」で有名な歌人吉井勇の作だが、石碑の後ろには白川が流れ、手前に石畳が敷かれている場所で昭和20年頃まで、この一帯には、お茶屋が立ち並ん…

八坂の塔

確か八坂の塔は中に入り上ることも出来たはず。 実際、私は上ったことがあるので。 然し、この写真はいつの頃のものか分からないが、塔の角度からすると、下の写真が現在のものだと思う。 昔は五重塔といっても観光地ではなかったんですね。

板倉槐堂筆「梅椿図」

15年程前だったか、京都博物館にこの有名な掛け軸を見に行ったことがある。 新しく発見されたという、お龍の若かりし頃の写真と同時に歴史の証人として貴重な遺産をこの目で見て感慨深いものがあった。 この掛け軸は板倉槐堂筆「梅椿図」というものだそうな…

大佛茶廊

大佛茶廊とは旧大佛次郎邸宅のことで、文豪の旧宅には目のない私は、近くに立ち寄った折りは是非にも行きたい名所旧跡。 何と言っても作家の手垢が染みついた旧宅にお邪魔するなんざ、一般庶民のあっしなんかはとても恐れ多い敷居を跨ぐようなもの。 亡き先…

探訪 樋口一葉

結核が細胞を蝕み、備わった天性の才を道ずれに三途の川を渡ろうとしている。遺されし母妹の生活(たつき)や如何に。日々、目減りしていく命の蝋燭。 血反吐が体力を奪い、幻想の中、幽鬼は朧。 鏡に映し出された、蒼白きこけた頬、これが、我が貌なりき。…

史跡 大阪の宿

水上瀧太郎の『大阪の宿』を読んだ時の感想がこれになるのだが↓ http://pione1.hatenablog.com/entry/2018/11/11/085355 昨日、国立国際美術館に行った帰り、肥後橋近くに上の史蹟を発見。 しかし、大正の昔、三田が見たであろう、この場面。 「三田は上り下…

福田屋

現在、大阪の道頓堀川に掛かる戎橋あたりは道頓堀2丁目という地名になっているが、この橋の川に沿った南側一帯はかつて、九郎右衛門町と呼ばれ、大変な賑わいを見せた花街だったらしい。その新戎橋の手前角に「出世地蔵尊」というお地蔵さんが祭られている…

明治の東京 随筆集 鏑木清方

鏑木清方の随筆『明治の東京』という本を読むと、さすがに明治生まれの人、漢学の素養もあってか名文が多い。 半世紀ともなると難福交々(こもごも)、一見何の奇もなく無為に過ぎたようでも、越えて来た山河は険しい、祖母は神信心の篤い人だったので、一家…

恵文社

行って来ましたというか、行かずにおれんばい。 イギリスのガーディアン紙が2010年に発表した「世界で一番美しい本屋10」に日本で唯一選ばれた店と聞いては、この旗本退屈男、早乙女主水之介としては、あっ、いや、退屈男、居眠り狂志郎としては約、片道2時…

原首相遭難現場

大正10年、原首相が東京駅構内で暗殺されたことは、いつの頃からか知ってはいたが、その現場に目印が付けられていることを、これまた何で知るようになったか覚えてない。 20数年前ぐらいだろうか、児島 襄さんの『平和の失速』という本で事の詳細を知ったが…

探訪 樋口一葉

結核が細胞を蝕み、備わった天性の才能を道ずれに三途の川を渡る時 死への恐怖に抗う術なし 遺されし家族への憐憫 命の蝋燭の灯は目減りし喀血が体力を奪い 幽鬼漂う中、朧に生きているような私 鏡に映る青白い貌を見る、二十四にして老残の貌を凝視す 穏や…

戦前の昭和を探して! 大阪中崎町

すっかり変わってしまった世の中 いつの時代も見続けて来ました 二度と戻って来ない昭和や 帰り来ることのなかったあの人も 築年数は忘れましたが みんなが生きていたあの頃を私は知っています 郷愁を探し求めるアナタ さあ、この扉の中で新しい思い出作りを…

裏長屋

行水や美人住みける裏長屋 昔から美人は裏長屋に住んでいるもんだと言いますが残念ながらお目に掛かれませんでした(笑 大正や明治の頃ならさしずめこんな感じでしょうか。 粋な黒塀 見越しの松に 仇な姿の 洗い髪 大きく開いたうなじを背に長い黒髪を束ね、…

第四師団司令部跡

誰も居ませんね! 静まりかえっています。 いや、そんなことはないです。 私の後ろには道行く人でいっぱいですが、誰もこの建物には関心を払いません。 何でしょうか、これは! 実は私、どうしてもこれを見たかったわけで。 そうなんです、第四師団司令部で…

古民家 練

「降る雪や 明治は遠くなりにけり」と詠まれたのは昭和6年のこと。 今や「昭和も遠くなりにけり」になった感が強い。 ましてや昭和前期の戦前となれば尚更。 私の住む地区は昭和20年の空襲で焼け野原。 さして軍需工場が在った地区ではないのだが絨毯爆撃で…

大河内山荘

嵐山駅から徒歩で30分ほどのところに大河内山荘というところがある。現在は国指定の文化財に登録されているが元は昭和の大スター大河内傳次郎の別荘。 太平洋戦争前のことだと思うが、当時女人禁制だった別荘を初めて訪れた女優が高峰秀子だった。16歳の高峰…

ホテル ニューグランドの魔法 横浜の時を旅する 山崎洋子

2008年夏、日産スタジアムで行われたサザンライブ参戦のため3泊4日の日程を組んで横浜へ行った。 宿泊先も横浜、新宿、藤沢と私にしてはかなり豪勢な旅で、横浜では山下公園を眼下に、氷川丸が係留されている絶好のポジションのホテルに宿泊したつもりだっだ…

適塾

大阪の適塾、緒方洪庵旧宅と書いてあります。 大鳥圭介、大村益次郎、橋本左内、激動の時代を生きた人達が巣立っていった塾でした。 大村益次郎暗殺、橋本左内は刑死、共にこの門を潜っていたんですね そういえば福沢諭吉先生もここでした。 こちらが緒方洪…

城中焼亡埋骨墳

城中焼亡埋骨墳 「じょうちゅう、しょうぼう、まいこつふん」と書いてある。 この辺りは旧大阪城内になるのか。 慶応四年の一月、旧幕府軍の本拠地だった大阪城が新政府軍に引き渡されるに際し、これを潔よしとしない幕臣たちは、城内に火を放ちここで自害し…

箕面

どうです、この佇まい。昔は料亭でもやっていたのでしょうか。木造3階建てで今は1階が喫茶店。勿論、これを見ては入らずにおられません。古い建物が大好き。下は川でせせらぎの音が何とも心地よい。 野口英世博士です。15年のアメリカ滞在を経て日本に帰っ…

江の島亭

男はつらいよ 寅次郎あじさいの恋 シリーズ29作目 マドンナ、いしだあゆみとデートした江の島亭ですね。 9年前の写真。 ついでにここで昼食、記憶を頼りに寅さんたちが座った場所で私も定食を戴きました! ブログ村・参加しています。 ポチッ!していただけ…

福田屋

現在、大阪の道頓堀川に掛かる戎橋あたりは道頓堀2丁目という地名になっているが、この橋の川に沿った南側一帯はかつて、九郎右衛門町と呼ばれたいへんな賑わいを見せた花街だったらしい。その新戎橋の手前角に「出世地蔵尊」というお地蔵さんが祭られてい…

長屋

通りの向うにビルさえ無ければ昭和の30年代という佇まい。 しかし、静かですね、人っ子一人居ません! 一体、築何年なんでしょうか。 この辺りは終戦間近な8月に空襲があった地域です。 おそらく、50年前から変わらぬ風景なのではないでしょうか。 ブログ村…

あやの小路

大正の英文学者・厨川白村(くりやがわはくそん)の旧邸宅を改装して出来た「がま口専門店」らしいが、ここを嘗て、岸田劉生が訪れたとある。 木製の看板の劉生絵日記をよく見ると五行目の下の方に確かに厨川氏という名が読み取れる。 日付は十月十日だが、…

横浜開港資料館

現在は横浜開港資料館だが、以前は英国総領事館。 昭和32年、この場所、正確には門柱の前で父が母を撮った写真が我が家に現存する。 今年正月に念願叶って行って来た。 約60年の歳月を経て同じ場所に立ったわけで、子供の私としては実に感慨深い。 32年当時…

橋本関雪邸の丸石

今年の3月だったか、京都にある日本画家 橋本関雪(1883~1945)の旧宅に行った折り、広大な庭園を散策していたら、こんな平ぺったい大きな丸石を見つけた。 何だろうと思い近づいても意味がよく分からず? 振り返ると、縁側にはこのパネルが! よく見ると、…

T-SITE

我が街から文化が去って数年の時を経た。 文化! 何も大仰なことを言っているのではない。 唯一の書店とCD屋が撤退してしまったのである。 ブックオフなどさらさら無く、文化空洞化現象の街になって仕舞った。 だから休みを利用して行って来た。 丸ごと文化…

村山たか女創建の弁天堂

長野主膳、島田左近と言っても今日では知る人も少ない。 大老・井伊直弼の家臣として暗躍したが攘夷派から憎まれ大老暗殺後、長野主膳は斬首、島田左近は木屋町二条で殺害された。 その、井伊直弼との関係では外せない人物、それが村山たか女だ。 女性という…