居眠り狂志郎の遅読の薦め

喰う寝る読むだけの素浪人です

名所旧跡ブラ写真

古民家 練

「降る雪や 明治は遠くなりにけり」と詠まれたのは昭和6年のこと。 今や「昭和も遠くなりにけり」になった感が強い。 ましてや昭和前期の戦前となれば尚更。 私の住む地区は昭和20年の空襲で焼け野原。 さして軍需工場が在った地区ではないのだが絨毯爆撃で…

大河内山荘

嵐山駅から徒歩で30分ほどのところに大河内山荘というところがある。現在は国指定の文化財に登録されているが元は昭和の大スター大河内傳次郎の別荘。 太平洋戦争前のことだと思うが、当時女人禁制だった別荘を初めて訪れた女優が高峰秀子だった。16歳の高峰…

ホテル ニューグランドの魔法 横浜の時を旅する 山崎洋子

2008年夏、日産スタジアムで行われたサザンライブ参戦のため3泊4日の日程を組んで横浜へ行った。 宿泊先も横浜、新宿、藤沢と私にしてはかなり豪勢な旅で、横浜では山下公園を眼下に、氷川丸が係留されている絶好のポジションのホテルに宿泊したつもりだっだ…

適塾

大阪の適塾、緒方洪庵旧宅と書いてあります。 大鳥圭介、大村益次郎、橋本左内、激動の時代を生きた人達が巣立っていった塾でした。 大村益次郎暗殺、橋本左内は刑死、共にこの門を潜っていたんですね そういえば福沢諭吉先生もここでした。 こちらが緒方洪…

城中焼亡埋骨墳

城中焼亡埋骨墳 「じょうちゅう、しょうぼう、まいこつふん」と書いてある。 この辺りは旧大阪城内になるのか。 慶応四年の一月、旧幕府軍の本拠地だった大阪城が新政府軍に引き渡されるに際し、これを潔よしとしない幕臣たちは、城内に火を放ちここで自害し…

箕面

どうです、この佇まい。昔は料亭でもやっていたのでしょうか。木造3階建てで今は1階が喫茶店。勿論、これを見ては入らずにおられません。古い建物が大好き。下は川でせせらぎの音が何とも心地よい。 野口英世博士です。15年のアメリカ滞在を経て日本に帰っ…

江の島亭

男はつらいよ 寅次郎あじさいの恋 シリーズ29作目 マドンナ、いしだあゆみとデートした江の島亭ですね。 9年前の写真。 ついでにここで昼食、記憶を頼りに寅さんたちが座った場所で私も定食を戴きました! ブログ村・参加しています。 ポチッ!していただけ…

福田屋

現在、大阪の道頓堀川に掛かる戎橋あたりは道頓堀2丁目という地名になっているが、この橋の川に沿った南側一帯はかつて、九郎右衛門町と呼ばれたいへんな賑わいを見せた花街だったらしい。その新戎橋の手前角に「出世地蔵尊」というお地蔵さんが祭られてい…

長屋

通りの向うにビルさえ無ければ昭和の30年代という佇まい。 しかし、静かですね、人っ子一人居ません! 一体、築何年なんでしょうか。 この辺りは終戦間近な8月に空襲があった地域です。 おそらく、50年前から変わらぬ風景なのではないでしょうか。 ブログ村…

あやの小路

大正の英文学者・厨川白村(くりやがわはくそん)の旧邸宅を改装して出来た「がま口専門店」らしいが、ここを嘗て、岸田劉生が訪れたとある。 木製の看板の劉生絵日記をよく見ると五行目の下の方に確かに厨川氏という名が読み取れる。 日付は十月十日だが、…

横浜開港資料館

現在は横浜開港資料館だが、以前は英国総領事館。 昭和32年、この場所、正確には門柱の前で父が母を撮った写真が我が家に現存する。 今年正月に念願叶って行って来た。 約60年の歳月を経て同じ場所に立ったわけで、子供の私としては実に感慨深い。 32年当時…

橋本関雪邸の丸石

今年の3月だったか、京都にある日本画家 橋本関雪(1883~1945)の旧宅に行った折り、広大な庭園を散策していたら、こんな平ぺったい大きな丸石を見つけた。 何だろうと思い近づいても意味がよく分からず? 振り返ると、縁側にはこのパネルが! よく見ると、…

T-SITE

我が街から文化が去って数年の時を経た。 文化! 何も大仰なことを言っているのではない。 唯一の書店とCD屋が撤退してしまったのである。 ブックオフなどさらさら無く、文化空洞化現象の街になって仕舞った。 だから休みを利用して行って来た。 丸ごと文化…

村山たか女創建の弁天堂

長野主膳、島田左近と言っても今日では知る人も少ない。 大老・井伊直弼の家臣として暗躍したが攘夷派から憎まれ大老暗殺後、長野主膳は斬首、島田左近は木屋町二条で殺害された。 その、井伊直弼との関係では外せない人物、それが村山たか女だ。 女性という…