愛に恋

    読んだり・見たり・聴いたり!

一読三嘆

学而不思則罔 思而不学則殆

・論語曰く「学而不思則罔 思而不学則殆」 学びて思わざれば則ち罔し(くらし)、思いて学ばざれば則ち殆し(あやうし)。 「学ぶだけで思考しなければ知識を生かすことができず、思考するばかりで知識を学ばなければ賢明な判断ができない」という意味だが、…

為すに任せて 鶯をきく

腹立ちて 炭撒きちらす 三つの子を 為すに任せて 鶯をきく 癇癪を起こして部屋を汚す3歳児を叱るでもなく、後片付けをするでもなく、悠然と鶯の声を聞いているのは歌人与謝野晶子。生涯11人の子供をもうけ5万種の歌を詠み、膨大の文書を残し苦しい家計をやり…

サミュエル・ピープス

1633年2月23日-1703年5月26日 (70歳) 男も女も、年をとってくると中性化してくるんですね。女性は声が低くなり、色が黒くなって男っぽくなり、逆に男性は声が高くなり色が白っぽくなって、女性化してくるようだ。 と、サミュエル・ピープスという人は言うの…

清談について

『清談について』茨木のり子 清談をしたくおもいます 物価 税金の話し おことわり 人の悪口 噂もいや 我が子の報告 逐一もごかんべん 芸術づいた気障なのも やだし 受けうりの政談は ふるふるお助け! 日常の暮らしからは すっぱり切れて ふわり漂うはなし …

堀辰雄よ、さようなら

昭和28年5月28日、堀辰雄死去。 「君にあつたほどの人はみな君を好み、君をいい人だといつた。そんないい人がさきに死ななければならない、どうか、君は君の好きなところに行つて下さい、堀辰雄よ、さよなら」 弔辞 室生犀星 あれは、大正15年だったか、芥川…

七浦七里枯るる

私は小学校に入っても夜尿症が治らず、かなり父を悩ませていたが、夜泣きはどうだったかというとあまり記憶にない。なんでも真言宗の開祖である空海は、激しい夜泣きで周囲を悩ませていたとか。ものの本によると空海の母は村人に「夜泣きする子は七浦七里枯…

上も極楽、下も極楽

明治28年10月6日、この日の伊予松山は快晴だった。 正岡子規は友人の漱石を連れ立ってこの寺に来た。 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%AE%9D%E5%8E%B3%E5%AF%BA_(%E6%9D%BE%E5%B1%B1%E5%B8%82)#/media/ 「宝厳寺に謁づ。一遍上人御誕生の霊地とかや。古往…

有職読み

有職読み(ゆうそくよみ)と読む。 日本に於いて古来からの慣例に従い、漢字で書かれた語を特別な読み方で読むこととされるが、どうもよく解らない。 例えば、 藤原定家は一般的に「ていか」と読む。 つまり、諱だけは音読みで発音しているわけだが、本来の…

越中褌

人間の身につけるもので越中褌ほど俳味あるものはないよ。 この頃の男(やつ)どもはサルマタなんぞという怪しげなものを穿いているが、サルマタ・・・・、名前からして下劣じゃないか。 あんなものを穿いて平気でいるんだからキモッ玉が座らんのだ。 きんた…

九条武子

大正三美人の筆頭、九条武子、どうだろうかこのお顔。 以前、柳原白蓮については確か記事を書いているので省くが、今一人は林きむ子、または新橋の芸者江木欣々という説もある。 九条武子は京都西本願寺法主二十一世大谷光尊(伯爵)の次女で、実兄大谷光瑞…

桜月夜

桜月夜~千年恋詩 谷村新司やさだまさしという人の書く詩は、本来あるべき姿を留め指すようで、無駄を省き、流行を追わず、日本人が育んできた美を今に歌うようで素晴らしいものだと思う。 例えば『桜夜月』という歌は、作詞:谷村新司 作曲:さだまさしだが…

小津安二郎 陣中日誌

左側が小津 小津日記の中に支那事変の件(くだり)、昭和14年1月13日の見ると。 今日から城外に慰安所が出来る。 金曜日がZで開店早々うちの部隊が当たる。 慰安券が二枚、星秘膏ゴムなど若干配給になる。 慰安券に曰く ・慰安所に於ける酒食を禁ず ・泥酔者…

アンリ・バタイユ 『記憶』

大正3年に松井須磨子が歌って大ヒットした「カチューシャの唄」は作詞:島村抱月・相馬御風、作曲:中山晋平で芸術座公演、『復活』の劇中歌だが、脚色も島村抱月となっている。 然し、実は先にアンリ・バタイユが脚色したものを再脚色したものらしい。 その…

百代之過客

こよなく酒を愛した唐代の中国詩人、李白は『春夜桃李の園に宴するの序』の中でこんなことを言っている。 光陰者百代之過客 光陰は百代の過客なりと読む。 おそらく、それを知っていた芭蕉も『おくのほそ道』に曰く。 月日は百代の過客にして 行かふ年も又旅…

ソライロノハナ

萩原朔太郎の初めての作品集『ソライロノハナ』が見つかったのは昭和52年の秋のことらしい。 大正2年4月に編まれた、この作品は自選自筆歌集で、詩に転向する以前の朔太郎唯一の歌集で、それは、ただひとりの女性に捧げるためのものであった。 朔太郎が19歳…

人は老いてふるさとを恋ふ 河上肇

1879年10月20日-1946年1月30日 (66歳) 今年はマルクス主義者、河上肇生誕140年にあたる年らしい。 河上肇と言えば『貧乏物語』『自叙伝』など現在でも岩波で読めるが、私などは大杉栄は読めても河上肇は読めない。 何だか難しそう! 「貧乏をなくすには金持…

頽唐享楽の歌風

歌人吉井勇は非常に興味ある人物なのだが、彼の伝記本というのを見たことがない。 勇は伯爵家の家系に生まれながら文学好きが高じて新詩社に入社、与謝野鉄幹の『明星』に短歌を発表。 その後、退社した勇は明治41年、木下杢太郎、北原白秋、石川啄木らの詩…

波多野秋子の遺書

春房さま とうとうかなしいおわかれをする時がまゐり ました。 ○○おはなし申上げた通りで、 秋子の心はよくわかって下さることとぞんじ ます。 私もあなたの お心がよくわかって をります。十二年の○ 愛しぬいてくだすつた ことをうれしくもつたいなくぞんじ…

佐藤春夫 弔辞の川端康成

かれこれ40年ほど前のこと、芥川龍之介の弔辞を読んだ菊池寛の文章に痛く感動したことがあったが、戦後の一時期、追悼の名人と言われた川端康成の読む弔辞は葬儀に参列した多くの人たちの胸を打ったに違いない。 中でも昭和39年、佐藤春夫を送ったときの弔辞…

道行き知らじ 

比較的近くの商店街に、ある祠が道行く人に少しでも目立とうと、腹を押し出すように鎮座している。有名ビジネス・ホテルの四辻の角に、見てくれよと云わんばかりに。 その昔はこの辺り一帯は池だったとか。立て札を読むに、今から70年ほど昔、その池で溺死し…

『源氏物語』原題語訳の焼失

失いし一万枚の草稿の女となりて来りなげく夜 以前、何の記事だったか、かなり長めの文章を打ち込んだはいいが、間違って削除してしまったことがある。 呆然、唖然、もう馬鹿さ加減に呆れて豆腐に頭を突っ込んでやった。 悔しいやら腹が立つやら、いま一度書…

ゴッホの手紙 小林秀雄

彼の名前は、ヴァンサン・ヴァン・ゴーグ。 彼は急いで店に這入る。 店では土人の矢だとか古風な鐵屑だとか安物の油繪だとかを賣ってゐる。 氣お毒な藝術家よ、君は今賣りに來たその繪を描いた時、君の魂の一と切れを入れたのだ。 薔薇色の紙の上の薔薇色の…

北 杜夫と能動的な愛

北 杜夫が生まれたのは昭和2年に5月1日だという。昭和2年か! 芥川の命日は7月24日だから多少交わっている。宇野浩二が発狂したのも昭和2年。 斉藤茂吉の病院に宇野を連れていったのが芥川と広津和郎だったが、果たしてその日がいつだったか? 宇野が入院し…

韓国現代詩選

人を探しています 年は はたち 背は 中ぐらい まだ生まれた時のまんまの うすももいろの膝小僧 鹿の瞳 ふくらんだ胸 ひとかかえのつつじ色の愛 陽だけをいっぱい入れた籠ひとつ頭に載せて 或る日 黙ったまま 家を出て行きました 誰かごらんになったことあり…

小津日記 糞

仮に今の日本に徴兵制があったとしても、この歳になれば召集令状が来ることはまずないが、子供の頃から父親に戦争の話しなど聞かされて育ったため、何かにつけ戦時中の事を考えて本を読むことが多い。 それ以前に体質的に私は軍隊生活には向いていないと思う…

難解でも心に根づく文体

近代批評家の神様、それが小林秀雄に与えられた称号みたいになっている。 こんな逸話があるらしい。 娘から、 「何だかちっともわからない」 と国語の試験問題を見せられ、 「こんな悪文、わかりません答えておけばいい」 と言い放ったところ、 「でも、これ…

藤原道信朝臣

一夜を過ごした男女の迎える夜明けを、情感たっぷりに「後朝」と呼ぶらしい。 これで「あとあさ」ではなく「きぬぎぬ」と読む。 藤原道信朝臣は詠む。 明けぬれば 暮るるものとは 知りながら なほ恨めしき 朝ぼらけかな. 朝ぼらけとは夜明けの意味だから、分…

誠之助の死

佐藤春夫は明治25年4月、和歌山県新宮市で代々医療を業としていた家系、佐藤豊太郎の長男として生まれた。 その父の友人である同業の、大石誠之助が大逆事件で死刑判決が下ったことに春夫は大きな衝撃を受け「愚者の死」という詩を書いている。 然し、それと…

風姿花伝

日本を代表する芸術論、能の大成者、世阿弥の能楽論「風姿花伝」などと言うものは難しくて、私などにはとても理解できないが、その「問答条々」の中にこのようなことが書かれている。 「問ふ。能に序・破・急をば、なにとか定むべきや。問ふ。これ、やすき…

露風一派の詩を追放せよ

三木露風 中野重治は昭和47年に、 「海外に出て、日本の詩人のはしくれでありながら、こいつが日本、と胸を張って言えるのは彼一人よりなかったというのは、なんとしても淋しい。そして、いまもう一度外国へ行ってもおなじことしか言えない」 と語っている。…