愛に恋

    読んだり・見たり・聴いたり!

フィンセント・ファン・ゴッホ Part.34 

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《船のいるアントウェルペンの岸壁》(1885年) ゴッホ美術館

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《陶器と瓶のある静物》(1885年) ゴッホ美術館 

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《夫は海に出ている・赤ん坊を抱いた炉端の女(ドゥモン・ブルトンを模して)》(1889年) 個人蔵

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《糸杉のある小麦畑》(1889年) メトロポリタン美術館

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《紡ぎ車を操る女》(1884年頃) 和泉市久保惣記念美術館

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《小麦畑》(1889年)

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《ニュネンの古い塔と農民》(1884年) クレラー・ミュラー美術館

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《ひまわり(一作目)》(1888年

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《男の肖像》(1888年) クレラー・ミュラー美術館

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《2人の人物のいる下生え》(1890年) シンシナティ美術館

ゴッホさんね、Part.34ですよ、Part.34。

つまり340枚も貴男の絵を紹介しているわけですよ。

こんなブロガーが居ますか、えぇ、こんなブロガーが全国津々浦々に存在しますか。

居たら教えてくださいよ。

こればかりじゃありません、おそらくこれからも続くとおもいます。

復権ゴッホですよ。

だからどうしてくれこうしてくれという話じゃありません。

貴男の名声はもう世に轟いています。

だからね、まあ何と言うか、その・・・あれですよ、あれ。

絵を一枚だけ、いやね、一枚でいいでがすよ、ホントに一枚だけ頂くわけには参りませんかね。

いや、どれというわけではなく、これなら譲ってもいいという絵がありましたらどうかなんとかお願いします。

あっ、それと出来れば号数の大きなものをお願いしたいと、こう思うわけでして。

「考えておく」

まあ、そう言わずに、そうですか。

それなら色よい返事をお待ちしていますよ。

「花のニッパチ組」元関脇・麒麟児が死去 67歳

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日本相撲協会は13日、元関脇・麒麟児の垂沢和春さんが3月1日に多臓器不全のために死去していたことを発表した。67歳だった。告別式はすでに家族葬にて執り行われた。  1953年3月9日、千葉・柏市出身。二所ノ関部屋から1967年夏場所初土俵。74年秋、新入幕を果たした。第55代横綱北の湖など有力力士がそろう昭和28年(1953年)生まれは「花のニッパチ組」と称され、土俵を沸かした。88年秋に引退し、その後は年寄「北陣」を襲名した。幕内在位は84場所で580勝644敗34休。通算成績は773勝792敗34休。敢闘賞4回、殊勲賞4回、技能賞3回、金星6個。

 

そうか、麒麟児はもう定年を迎え引退していたのか、知らなかった。

そして麒麟児も逝ってしまった。

淋しいね、ご冥福をお祈りしたい。

駐英中国大使、BBC番組でウイグル人の強制収容否定

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新聞のコラムにも書いてあったが、西側諸国の言うことが事実無根だというなら、全てオープンにすればいいじゃないか。

国連の調査団の抜き打ち検査だろうが何だろうが、全て受け入れれば済むこと。

警察の家宅捜査で、本当に薬物がないなら自信をっ持って隅から隅まで調べてもらえばいいだけのこと。

違うかね大使!

アレクセイ・ハーラモフ 1840年10月18日-1925年4月10日 

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アレクセイ・ハラモフ 1890年

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《ピンクのボンネット》

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《花売りの少女》(1878年

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《りんご選び》

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サマータイム》(1890年頃)

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《珊瑚のネックレスとショールを身につけた少女》

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《小さなお針子》(1910年)

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《赤い首飾り》

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イノセンス

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《バラの花束と赤褐色の髪の美女》

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《アレンジメント》(1890年頃)
ハラモフさん、はじめまして。

貴男はセルビア人なんですね。

関係ない話ですが、1925年まで生きたということは、第一次大戦のきっかけとなった、オーストリア皇太子暗殺をした青年たちが同胞のセルビア人だということを知った時、どう思われたのか訊きたいところですが、それは敵いませんね。

まあいいでしょ。

ところでアナタ、この他の絵も見せて頂きましたが、全て肖像画ばかりですね。

 どれも似たような顔つきばかりのこの少女は誰ですか。

画家として風景画やヌードには興味ないのですか。

然し、私なら同じテーマばかりでは飽きますけどね。

それも少女ばかり。

まあ、これ以外に興味がないと言われればそれまでですがね。

ジェーン・マンスフィールド Part.5 

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1958年

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マンスフィールドさん、分かってます分かってます。

以前にも書いたかも知れませんが、ハリウッド史上、貴女ほどの巨乳もいないでしょう。

何と言っても日本人が日頃、芸能人なんかに対し言っている、スタイルがいいなんて言う発想は子供だましみたいなものですよね。

貴女と比べたら日本人なんか誰も敵いませんよ。

それにこの露出度。

大人の色気ムンムンですよ。

ところで貴女、男性遍歴を私で終わらせるつもりはありませんか。

 

ところで、ここでまた緊急事態宣言を発したいと思います(笑)

今朝は病院の外来日で、予定では採血、消化器内科、血管内科の受診で終わるはずでしたが、心電図、レントゲン、入院受付などを追加され、結局5時間も要してしまいました。

悪性リンパ腫と同時に併発した十二指腸癌は、癌の部位としては極めてまれで、先生もレアなケースだと言ってました。

20日入院で21日手術ですが、内視鏡手術で全部取り切れなければ、開腹手術となり、その場合、十二指腸は管が薄く合併症のリスクも高まり、また穴も開きやすいため、周りの内臓の一部を執るという大手術になるとか。

拠って、20日の夜からブログはまたお休みさせて頂きますね。

まあ、どうなることやら私は知りません。

エドヴァルド・ムンク Part.14  

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《太陽》(1911年-1916年)ムンク美術館

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《サン=クルーの夜》(1890年)オスロ国立美術館

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《別離》(1896年)

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《嵐》(1893年ニューヨーク近代美術館

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《月明かり、浜辺の接吻》(1914年) ムンク美術館

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《声》(1893年 

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《歴史》(1916年)

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《絶望》(1894年) ムンク美術館

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《クリスチャン・サンドベルク》(1901年) ムンク美術館

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《オースゴールストランの道路》(1901)
ムンクさん、貴男の絵って幻想的な雰囲気の中で食べるあっさりラーメンみたいな感じですね。
なんかいつもサラーとしてるでしょ。
撫でるように薄く風のように波のように。
そして見るこちら側が納得してなくても、まあ、これでいいやってなもんで終わっちゃう。
仕上がったのか、途中なのか分からなくても、はい終わり。
まあ、いいですけどね。
だけどねムンクさん、時に私は文句の一つも言いたくなるような作品もあるんですからね。

スザンヌ・プレシェット Part.2 

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1964年

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1962年

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1965年

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スザンヌさん、貴女の代表作はなんといっても7『恋愛専科』でしょ。
美人でしたよね、あの横目に私は悩殺されたものでした。

既に去った貴女を偲んで、まさに相応しい曲を用意しました。

聴いてください。 

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