愛に恋

    読んだり・見たり・聴いたり!

ポール・ゴーギャン Part.6

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《月と大地》(1893年 ニューヨーク近代美術館

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《異国のエヴァ》(1890-1894年)

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《グロアンスの休暇》(1888年オルレアン美術館

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《洗濯する女たち》(1888年ニューヨーク近代美術館

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《縫い物をする女》(1880年ニイ・カールスバーグ美術館

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《ヴァイルマティ》(1897年)

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ブルターニュの少年の水浴》(1886年

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《ヴォージラールの庭》(1881年ニイ・カールスバーグ美術館

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タヒチのマンゴ》(1892年)ボルティモア美術館

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《ナヴェ・ナヴェ・モエ(甘い夢)》(1894年)

女性は何処の国へ行っても肌の色違いがあるだけで万国共通の男女関係だと思いますが、食生活に関してはタヒチの食べ物は口に合ったんですか。

私にはよく分かりませんが、何故、タヒチだったのか、タヒチは楽園だと誰かに聞いたのですか。

然し、永住とはこれまた思い切った決断ですね。

医療関係設備など、当時のタヒチがどうだったか知りませんが、私には出来ないことです。

そして貴方の絵ですが、どうもこれは凄いというのが今のところ見つからないのですが。

マリリン・モンロー Part.20 

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1948年

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モンロー&ロバート・ミッチャム

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1953年

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何やってんですか貴女、オッパイが、オッパイが見えてるじゃありませんか。

あー、オッパイですよ、オッパイ!

そんなに気安く見せては駄目なんですよ。

貴女ほどの女優はもっと大切に仕舞って置いてください、大事なオッパイなんですから。

ほんとにもう、私の前ならどれだけブラブラさせてもいいですけど、他人に見せちゃだめですよ、これからは気を付けてくださいね。

ジョヴァンニ・セガンティーニ 1858年1月15日 - 1899年9月28日 

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ジョヴァンニ・セガンティーニ

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《自画像》(1882年)

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《泉》(1887年)セガンティーニ美術館

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水飲み場の牛》(1888年バーゼル美術館

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《死んだ男》(1886年セガンティーニ美術館

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バグパイプを吹くブリアンツァの男たち》(1883年-1885年)

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《羊の剪毛》(1883-1884年国立西洋美術館

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《聖アントニオ合唱の間》(1879年)

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《死んだ鹿》(1892年)

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《羊の恵み》(1884年セガンティーニ美術館

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《湖を渡るアヴェ・マリア(第2作)》(1886年セガンティーニ美術館

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《最初のミサ(早朝の祈り》(1884-1885年) セガンティーニ美術館

イタリア人画家。

素晴らしいリアリズムですね、この最後の絵は、乗せているのは羊ですか。

波紋といい居眠りする二人といい、本当に良く描けていますね。

貴方のことは何も知りませんが、4人の子供を残しての急死だったと聞きます。

さぞかしご無念だったことでしょう、まだ41歳ですもんね。

お悔やみもうします。

シャッター・チャンス Part.17 

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Mohammed Satta

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King Alfred’s Tower in the UK

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フィリピンのタール火山が噴火しましたが、避難勧告前に撮影された一枚

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PRINCE ELEAZER

どれも凄い写真ですね。

行ってみたい、見て視たい場面が沢山ある、世界は素晴らしい!

アンリ・ルソー Part.2 

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エッフェル塔》(1898年)ヒューストン美術館

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《戦争》(1894年)オルセー美術館

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《うさぎ》(1908年)バーンズ・コレクション

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《トラネコ)個人像

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《イヴリー河岸》(1907年頃)アーティゾン美術館

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《ピンクのキャンドル》(1909-1910年)フィリップス・コレクション

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《ピエール・ロティの肖像》(1910年) チューリッヒ美術館

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《ムーラン・ダルフォール》(1895年)ポーラ美術館

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《花束》(1919年)テート・ブリテン

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《猿と蛇のいる熱帯の森》(1910年)

貴方の絵を見ていつも思うのは、色遣いの鮮やかさです。

丹念に細かく、とにかくぼかすということのない作業ですよね。

税管理士ルソーなんて揶揄する人もいますが、素晴らしい画伯だと思っていますからね。

どれか一枚ください。

モニカ・ベルッチ Part.3 

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2人の子供の肖像』1895年

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私ね、貴女が相当な肉食系イタリア人の典型だと思っているんですよ。

何しろ露出の多い女優ではブリジット・バルドーやモンローと比べても、貴女が断トツに多いと思います。

それもかなり際どい線まで降ろしたりしていますよね。

とにかく男を挑発するのが大好きですよね。

昔、一週間に十日来いなんていう歌がありましたが、あなたはまた違った意味での一週間に十日来いでしょ。

分かりました、行きましょ。

一週間に十一日でどうでしょうか。

これなら流石の貴女も文句ないでしょ。

待っててくださいよ、その間、男を断って。

外交回想録 重光葵

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でかした、これで東郷茂徳が獄中で書いた『時代の一面 大戦外交の手記』と合わせて大戦期で両外務大臣の手記を読んだことになる。

ただ重光には著作が沢山あり、ぼちぼち読んでいきたいが何分値段が高い。

本書は第一次大戦頃から外務大臣になる直前あたりまでのことが書かれているが、東郷さんと同じく記憶を辿って書くあたり、流石に頭脳明晰と言わざるを得ない。

両大臣に言えることは、一貫して平和を希求するもので決して侵略者などではない。

共にA級戦犯の汚名を記したが、後世の日本人としては名誉復権されたしと願うところだ。

赴任した各国で日本の国益を守りつつ、紛争処理、条約改正など尽力したこと甚だしく、特に群雄割拠の状態にある中国では交渉も難しく、海外からは外務省と参謀本部の二重外交と批判されることも多かった時代。

 然し、ソ連以外からの各国外交官の信頼も熱く、特にチャーチルとの親交の深さには驚いた。

松岡洋右の前に重光が外務大臣になっていたら三国同盟や日ソ中立条約などはどうなっていただろうか。

歴史の分岐点と言わざるを得ない。

本来なら、この時代の外務大臣に関する評伝などは、こんな簡単な感想文で済むはずがないのだが、何しろ情報量が多く書ききれないため、簡略化して書いておくだけにした。

悪しからず。