愛に恋

    読んだり・見たり・聴いたり!

ポール・セザンヌ 1839年1月19日 - 1906年10月23日 

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《自画像》(1879年-1880年

《パイプをくわえた男》(1892-1896年頃)コートールド美術館

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《赤い肘掛け椅子のセザンヌ夫人》(1877年頃)

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《サント=ヴィクトワール山とアルク川渓谷の陸橋》(1885-1887年)メトロポリタン美術館

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 《庭のセザンヌ夫人》(1880-1882年)オランジュリー美術館

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《りんごを使った静物

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《ドミニクおじさん》(1866年)

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 《首吊りの家》(1873年

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《大浴場》

セザンヌはサロンでの落選を繰り返し、その作品がようやく評価されるようになるのは晩年のことで、死後、その名声と影響力はますます高まったらしいが、あまり彼のことを知らない私としては山と果物ばかりを描いて来た印象が強いので、なるべくそれらの物は外して掲載。

クロード・モネ part3 

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《ベル・イル島グルファールの海岸》(1887年)

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 《ザアンダム近くの風車》(1871年

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《アルジャントゥイユの雪景色》(1875年)ロンドン・ナショナル・ギャラリー

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《エトレタの荒海 》(1883年)

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ル・アーヴル港の入り口》

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《サン=ドニ街》

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《馬の三輪車に乗ったジャン》(1872年)メトロポリタン美術館

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《ウォータールー橋、霧の中の太陽 》(1904年) 個人蔵

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 《サン=ジェルマン=ロクセロワ教会》(1867年)

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 《しゃくやくの花園》(1887年)国立西洋美術館

時に印象派の絵画に戸惑うことがある。

これの何がいいのか解らないとことが多々あるからで、二科会などで見る絵の方が凄いと思ってしまうこに、私の素人としての観察力のなさだと諦めているが。

京橋ツイン21古本市

何とか、この鬱状態を脱出しなければならないと最近悩んでいると昨日も巻いたが、気分転換になるかどうかは分らねど、京橋ツイン21でやっている古本市へ気温15度の中、腰痛、肩痛、自律神経の歪んだ状態で行って来た。

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もう何回も来ているので、勝手知ったる他人の会場だが、ここは真冬では寒すぎて見るのに適さないところなのだが、今日は安心だった。

下が1階になるのだが、然しその前に2回にこの旗印!

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おお、これこそが我が憧れの最強最高の仕事なのだ。

今度、生まれ変わったなら作家にも画家にもミュージシャンにもなれない私は、少しばかり秀才に生まれて、ここで働くのだ。

我が意を得たり!

写真を撮って下に降りると、ずっと私を見ていた女性職員が寄って来て、パンフレットを渡し緒方貞子を御存じですよね」と言うので、「はい、私の姉です」と答える、一瞬、間が開いて緒方貞子さんですけど」と訊き返すので、私はもう一声「私の姉です」と念を押すと、相手は私の目を見つめるなり会話が途切れ空白で出来た。

頭が混乱しているらしい。

冗談がきつ過ぎたが「嘘ですよ」というと笑い出した。

そんな事のはじまりから、到着は2時、予定時間を2時間、軍資金3000円と決めて順に見て行ったのだが、今日はかなり良質の本が揃っていたため、思わぬ時間を喰った。

4時になり、タイムリミットなのだが、まだ全体の3分の2ぐらいしか見ていない。

仕方がない、この時点で籠に入れた本の値段を計算するとジャスト3000円、それに昼飯抜きで来ているので、止む無く退散したが軍資金があれば7000円ほど買ったかも知れない。

本当に古本市は知識の宝庫だ!

積読本は腐るほどあるのに、かなり難物ばかりを飼ってしまった。

記録しておこう。

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1979年9月3日、中国から29年ぶりの突然の帰国。

日本中をアッと驚かした、伊藤律のことはもっと勉強しなければならない。

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同じく、終戦前後の上海のことも、もっと勉強したい。

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私が生まれる前に起きた、この有名な事件に関しては殆ど知らない。

この際、この長編を読んでみよう。

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しまった、新潮文庫ではなく昭和37年の旧訳で、かなり読みづらいと感想に書いてある旧版を買ってしまった。

然しこれ、思った以上の長編なんですね。

しかも文字が小さい二段組、いやはや。

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何と、単行本で646ぺーじもある。

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3冊目の滝田ゆうだ。

ここまではみな絶版本だろう。

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東海道中膝栗毛』を書く前の十返舎十九の話らしい。

面白そうだ。

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谷崎はもっと読んだ方がいい。

 

積読本が196冊になってしまった。

大丈夫かお前、気でも狂ったか!

違う、歴史上の謎は自分なりに解決しなければ駄目なのだ。

何にしてもそうだ。

幕末の歴史でも薩長の側ばかりではなく、幕閣や会津の立場も知らなければ。

西南戦争にしたところで、西郷と大久保の確執、両者の考えも重要だ。

二・二六も皇道派と統制派、開戦も南進論と北進論、和平派と開戦派。

戦中戦後の右派と左派の相違など総て知っておきたいのだ。

だから、早く「鬱」から脱出しないと、どんどん買うばかりになってしまう。

私は集めるのが趣味ではなく、飽くまでも知りたいから買うのであって、今日も今から読むのだ。

「おのれ、待っておれ伊藤律そういえば『父・伊藤律 ある家族の「戦後」』はまだ文庫化されないのか。

まっているのだから早くしてよ。

最後に、今日の私はお腹の調子が悪くゲーリー・ダメオで腸がぐうぐう鳴っている。

どうしたのだいったい、頼むぞ。

相撲は明日もまた見もの。

大坂なおみは15歳の天才少女に敗れた。

 

ダイポールモード現象

人間、夢などというものは毎日のように見ているものなのかも知れないが、起床後、暫くすると忘れるのが常のはず。

然し最近、妙に記憶に残るものばかり残像として、脳の窪み辺りにへばりついている。

数日前はダウンタウンの浜田を思いっ切りどやし付けていたかと思へば、昨日は、30年程前に付き合っていた彼女が、自分が考案した料理のレシピを持って、白髪になって現れた。

当然、今日もとなってくる。

私はと言えば東京五輪の為に、何処かの高級旅館に泊まっていた。

そこに、去年九月以来、行き方知らずになっている我が愛猫が現れるという椿事が勃発。

私は、それこそ何度も夢の中で目を覚まし、「まさか、夢ではあるまいな」と確認して、これは夢ではないと安心したのも束の間、やっぱり夢だった。

更に、夜中に猫の鳴き声を聞き目覚め、名前を呼んでみたり、確かにlineの「ピンポン」という音を聞いたはずなのに空耳アワーだったり。

どうなっているんだ。

関係性の是非はともかくも、心当たりがないわけではない。

心と体のバランスに不具合が生じている。

後輪の左右どちらかのタイヤがパンクしかかっているのか、空気が抜けている。

とにかく運転に支障をきたしていることに間違いはない。

 

そこで今朝方、朝食後、炬燵で丸くなりながら思案橋ブルースと相成った。

私のブログ歴は長い。

10年以上にもなるが、その間、3~4度休んだことはあったものの、あまり書いて来なかったが、心筋梗塞、大腸がん、坐骨神経痛、インフルエンザと苦しみながらも、ともかくは続けてはきた。

然し、心療的には何年か前にただ一期間だけの休養しかなかったはず。

長きにわたり、ブログを書き、読書を継続するのは、私なりの理由がある。

兎に角、子供の頃より「根」と言う字が大嫌い。

根性、根気、更には気力、集中力等々々。

人生、何かを成し遂げたことがない。

 

評論家や作家にでもなったとでもいうならともかく、さに非ず、単なる夢喰い虫になっただけだ。

だから少し意地になって書き読んでいる節もある。

実のところ、今日で1516日、ぶっ続けで本を読んでいる。

勿論、入院中でも読む。

少し異常ではないのかと思うこともあり、他人から苦言を呈される。

自分でも、こんな人生が待っていようとは、夢思わなんだ。

そこに持って来て最近のエンスト状態。

人生、総ては自己責任と考えているので、浮き沈みの多い人生なれど次の浮上を待つしかない。

ちょっとした「鬱」で、こういう時は、なるべく猫のように炬燵の中でウンコをする。

いやいや丸くなり「As Time Goes By」。

何かの切っ掛けを待つしかないのだ。

 

そんなこんなと思いを巡らしていたら、救急車のサイレンが近づいて来て、我が部屋の前で止まるではないか。

どうしたと窓から覗いて見るに、お婆さんが早速運ばれて行き、パトカーも到着。

うちのマンションの女性陣と向かえの工場のオジサンも立ち会って、何やらお巡りさんに説明している。

時計を見ると浜田正午(笑

慌てて着替え、病院へ。

そんなこんなでブログの更新をどうするか考え乍ら、大相撲を先ほどまで見ていた。

豪栄道が、カド番大関で今日負けて関脇陥落。

炎鵬は勝って七勝と勝ち越しが見えて来た。

この分では来場所横綱戦が組まれることになる。

頼むぞ両横綱、来場所は出場してくれよ。

然し、鶴竜はもう駄目だろう。

年内引退と見た。

 

扨て、こういう話をとりとめのない話というのだが、ブルーノ・タウトの『日本美の再発見』なる本に「桂離宮」や「伊勢神宮」と共に秋田県横手市の「かまくら」を世界に広めたのは、ナチスの迫害を逃れて日本に遣って来た彼自身らしい。

然し、今年は暖冬の影響でかまくらもスキー場も困り果て、このまま積雪が少なく春を迎えると、雪解け水が減って農業に深刻な影響が出るとか。

原因はインド洋西部の海面水温が上昇する「ダイポールモード現象」と言われるもので、オーストラリアの森林火災もそのひとつ。

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いったい、どれだけのコアラが焼け死んだことか。

昨今、続いている異常現象が、今年はもう現れている。

そういえば去年の新聞に、我が街の一級河川淀川が台風などで氾濫した場合、私の住んでいる地区には5メートルほどの濁流が押し寄せるとあった。

マンション一階に住む私の部屋などひとたまりもなく、身分証と父の位牌を持って避難するか。

だが、長引く避難所生活は相当きつかろうに。

そんな日が来るのだろうか。

私の体力では持つまい。

話は戻るが、仮に炎鵬が大関になったら面白い、今場所は何でも昭和31年夏場所以来、64年ぶりに平幕二人の力士がトップを走る珍現象の場所。

流石に相撲ファンの私も知らなんだが、栃若時代の少し前あたりか。 

車ではない新型コロナは要注意

寒き雨まれまれに降りはやりかぜ衰えぬ長崎の年暮れむとす

大正八(1919)年、長崎医学専門学校の教授を務めていた斎藤茂吉が詠んだ歌らしい。

「はやりかぜ」の正体とは、エゴン・シーレ島村抱月の命を奪ったスペイン風邪で、第一次大戦末期頃から全世界で流行り始め、感染者は5億人、死者5,000万~1億人と、爆発的に流行したものだが、日本国内でも、約39万人が死亡したとある。

そのあおりを食って自殺をしたのが松井須磨子だが、古来、人類を苦しめて来た感染症

コレラ、ペスト、梅毒、近年ではSARSなる病気が流行り、薬局からマスクが無くなるなんという現象も起きた。

今日、薬局に寄ると、覗くまでもなく店頭にマスクが箱なり山積みになっていたが、私は元来、この手のことには無頓着でSARSの時もマスクなど買うこともなかった。

斎藤茂吉も当時は肺炎に罹り生死の境をさまよったとあるが、私の父は大戦さ中の1916年生まれ。

危ないあぶない!

然し、気になるのはこの「スペイン風邪」、実はスペインが発祥地ではなかった。

欧州の主要国は戦時を理由にインフルエンザの発生を発表しなかった。

では、何故スペインなのか、それはスペインが中立国だった所以らしい。

扨て、よく、本の中で見る【武漢三鎮】なる単語があるが、今の段階であまり過剰反応なのもどうかと思う。

然し日々、事態の推移だけは見守っていきたい。

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訃報 宍戸錠

何年か前のこと、『徹子の部屋』に故小沢昭一さんが出演していた時の事、黒柳徹子「私、百歳まで生きるかも知れない」と言ったら、すかさず小沢昭一は言ったものだ。

「それはいいけで、そうなったら周り誰も居なくなっちゃうよ、それも寂しいよアンタ」

そうなんだよね、人生、同時代を生きた仲間がどんどん消えて行くほど寂しいものはない。

長い間、その代表例を私は森繫久彌だと思っていた。

あの人ほど吉田総理を上手く演じた役者さんもいないが、森繫さんには『社長シリーズ』と『 駅前シリーズ』という二つのコミカルな東宝映画がある。

森繫曰く「スターは三船、役者はのり平」で「のり平」とは三木のり平のことだが、この人のコミカルな演技はちょっと真似出来ない。

戦時中に部下だった者が戦後、会社では社長になっていたという、立場の逆転した二人の遣り取りなど見ていると笑えてくる。

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そんな森繫さんは96歳の大往生で、総ての映画仲間は先立ち、独り取り残された晩年をどのような面持ちで送っていたのか、余人を以って計り難い。

その森繫さんたちと競うように張り合っていたのがクレイジーキャッツの『無責任時代』で青島幸雄曰く、「あの、植木さんのバカ笑で日本中を元気にしたと」。

確かに、あの能天気な笑いはバカバカしく愉快だった。

♪ 金のない奴ぁ、俺のところへ来い

  俺もないけど心配するな

 見ろよ、青い空、白い雲

 そのうち何とかな~るだ~ろ~う

 アッハハハハ!

 

そのクレイジーキャッツも、存命するは犬塚 弘さんのみで、調べてみると当年三月で91歳になるとか。

そして今日、「エースのジョー」こと宍戸錠さんも逝った。

つい先日、小林明さんの奥さんの訃報が伝わったばかりだったのに。

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この写真の男性陣だけ見ると、右から、赤木圭一郎宍戸錠石原裕次郎、小林明、和田浩治だろうか。

写真には写ってないが、この他に、長門裕之、渡哲也、浜田光夫二谷英明なども日活で、永年、宍戸錠と組んだ小林明氏は何思っているだろうか。

私個人は大映東映東宝のファンで、あまりアメリカ映画まがいのドンパチの激しい日活ものは見て来なかったが、昭和45年制作の日活最後の巨編、8時間を超える『戦争と人間』だけはオールキャストだけあって素晴らしい名作だった。

勘三郎がまだ15歳で出演していた。

 

私自身、まだ先の話になるやも知れぬが、無聊を託かこち、老残の身を曝し、無為に余生を過ごすような日々が続くようなら、余力のあるうちに父の元の旅立つのも一考かと思う。

既に同年の知らぬ人とていない著名人が3人亡くなっている。

 

余談だが、今日、金田正一さんのお別れ会があった。

代表として原辰徳が笑顔で、

「金田さん・・・、辰徳です、」

長嶋、王、野村、張本、錚々たるお歴々が一堂に会していた。

あの懐かし昭和30年代を思い残出していたのだろうか!