私は、生まれてこの方、大規模災害に遭ったのは後にも先にも、ただ一度しかないのだが、台風だったことだけは記憶しているが、それがなに台風だったのかはっきりしなかった。
あの当時、最も被害の大きい台風といえば伊勢湾台風だが、幼い私は東京の板橋在住で、東海地方に被害を齎した伊勢湾台風とは距離的にいってもどうも納得がいかなかったが、一昨日のNHKニュースでそれがようやくはっきりした。
昭和33年9月27日、伊豆、関東地方に大きな被害を与えた狩野川台風で、当時、高校生だった板橋在住の男性が、それを証言していた。
確かに上の新聞を見ても「板橋一帯に避難命令」と出ている。
アパートの前を流れる濁流を住民一同、電気の消えた玄関に集まり、懐中電灯片手に見守る様子を記憶している。
その中を父が「ちょっと見て来る」と行って水に足を浸し出て行った。
更に思い出したことがひとつある。
昭和60年、伊豆一帯を旅行していた私は、途中出くわした、ある公園でこんな石碑を見て、何だろうと碑文を読んでみた。
つまりは、この辺り一帯にあった集落を洪水が襲い、沢山の死者が出たというのだが、山に囲まれたような場所で洪水というのがよく理解出来なかったが、近くに川があったのだろうか、ともあれ今回のことで全て了解した。
木造住宅ばかりでマンションのない時代、ましてや護岸工事も今ほどではなく、当時ほどには死者は増大しないと思うが、あれから61年、その再来が遣って来たわけだ。
恐ろしや災害列島。