愛に恋

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狩野川台風

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私は、生まれてこの方、大規模災害に遭ったのは後にも先にも、ただ一度しかないのだが、台風だったことだけは記憶しているが、それがなに台風だったのかはっきりしなかった。

あの当時、最も被害の大きい台風といえば伊勢湾台風だが、幼い私は東京の板橋在住で、東海地方に被害を齎した伊勢湾台風とは距離的にいってもどうも納得がいかなかったが、一昨日のNHKニュースでそれがようやくはっきりした。

昭和33年9月27日、伊豆、関東地方に大きな被害を与えた狩野川台風で、当時、高校生だった板橋在住の男性が、それを証言していた。

確かに上の新聞を見ても「板橋一帯に避難命令」と出ている。

アパートの前を流れる濁流を住民一同、電気の消えた玄関に集まり、懐中電灯片手に見守る様子を記憶している。

その中を父が「ちょっと見て来る」と行って水に足を浸し出て行った。

 

更に思い出したことがひとつある。

昭和60年、伊豆一帯を旅行していた私は、途中出くわした、ある公園でこんな石碑を見て、何だろうと碑文を読んでみた。

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つまりは、この辺り一帯にあった集落を洪水が襲い、沢山の死者が出たというのだが、山に囲まれたような場所で洪水というのがよく理解出来なかったが、近くに川があったのだろうか、ともあれ今回のことで全て了解した。

木造住宅ばかりでマンションのない時代、ましてや護岸工事も今ほどではなく、当時ほどには死者は増大しないと思うが、あれから61年、その再来が遣って来たわけだ。

恐ろしや災害列島。

 

和田誠 1936年(昭和11年)4月10日 - 2019年(令和元年)10月7日)83歳


ゴールデン洋画劇場Op:1995/4/1

 「ゴールデン洋画劇場」 OP 監督:和田誠/作曲:八木正生

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素晴らしいイラストを沢山ありがとうございます。

誰が見ても和田誠と分る絵でしたね。

ご冥福をお祈り申し上げます。

 

感動は風と共に


The 15 Most beautiful actresses of Hollywood Golden era- "Cinema Paradiso"

芸術は常に完成品だけを見ている。

残された作品が総てなのだ。

葛藤や苦悩がいくらあろうとも、我らがそれを知ることはない。

然し、苦悩こそ人生だった彼らの声なき声が聞こえる。

「私を見て、聴いて、読んで(抱いて)」

それこそが唯一の供養である限りそれに応えたい。

映画、音楽、文学、絵画、スポーツ。

残すべき物の何もない私は、せめて感動だけは抱きしめることが出来る。

 

By ウンチング・スタイリスト 

ポロポロ 田中小実昌

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本書は七編からなる短編集で、主に昭和19年暮れから終戦まで、著者の初年兵当時の思い出を書いたものだが、かなり年月が経ってからの著書とあって、記憶が定かでないところもあるが、二等兵として如何に中国戦線の従軍が大変だったか、こんな生活はまっぴらだと思わせるに足る本だと言える。

行軍するにあたって兵隊は誰でも背嚢を背負うのがあたりまえだが、これが重い。

 

「小休止!」の声に、背嚢を放り出すというより、背嚢が背中からすべりおち、道ばたにころがる。背嚢がすべりおちるのに、みごともくそもないが、なんともなれたすげりおちかただった。

われわれは完全軍装で、一日70キロも行軍したあと、戦闘にはいって、××の城壁によじのぼり、なんて自慢していた、となりの中隊の中隊長代理の軍曹が、行軍で顎を出した。

 

戦闘と飢えを除けば軍隊生活で行軍ほど辛いものはなかろう。

著者もそう言っているが、完全軍装で70キロも歩けるものだろうか。

更に戦闘に入ったとあるが信じられない。

 

また、戦争末期で敵機の襲来もあることからして、夜間行軍となる。

 

睡眠時間はどうなっているのか、落伍者はそのまま置いて行く、即ち死を意味する。

雨の中でも疲れ切って眠り、排便は当然脇道で処理。

 

行軍のときは、ほんとうに、もっているものは、なんでもすててしまいたい。

自分のからだの皮でも剥いで、すてたい。

 

著者は鉄砲はもちろん、米まで捨てたあとあるから、よっぽどのことだったんだろう。

手ぶらで歩くにも大変な距離を、足のサイズに靴を合わせるのではなく、靴のサイズに足を合わせろなんて酷いことを言われ、爪に血豆が出来た場合はどうするのか。

 

然し、血豆ぐらいならまだましな方で、恐いのは病気に感染した場合、下痢をしている者は必ず報告するように義務付けられていたようだが、著者の場合、粘液便が続いて、アメーバ赤痢に罹患していたとあるが、他に、パラチフス発疹チフス赤痢マラリア天然痘と、いったい何のために戦いに来たのか、これでは分からない。

戦闘で死ぬなら兵隊として仕方ないにしても、飢餓や病気で死ぬなどまっぴらだ。

 

田中小実昌という人は、その生前、何度かテレビなどで見たことがあったが、なにか飄々として、どんな人物なのか知らないままに亡くなって、このような体験のある人だとは知らなかった。

剥げていた所為もあってか、いつも毛糸の帽子を被っていた記憶しかない。

その田中小実昌の古本は比較的売れているようなので、ここ最近、私も見つけ次第買ってはいたのだが、本書は著者の経歴を知る上でも貴重なものだろう。

 

因みに「ポロポロ」とは主人公(著者)の父がプロテスタントの牧師で、教派を離れ独立教会を作り、まともな説教が出来きない。

ただ神に祈り、言葉にならない言葉で自分のうちを神に訴える発音が、幼い著者にはポロポロと聞こえたか、パウロパウロがポロポロになったのか知らないが、本書のタイトルとして蘇ったわけだ。  

積み本免罪符

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確か計算では、今現在、積読本は166冊だったと思う。

思えば、以前は溜めても20冊を上限として、それ以上は精神的な圧迫感とでもいうか、強迫観念に駆られやすいタイプなので極力、購買を控えながら、それなりのバランスを保ち、ここ数年、何の問題もなく平穏無事な読書生活を送って来たはずだった。

 

然し、異変が起こり出したのはTwitterでフォローしている、とある二人の男女の動向。

以前から気になっていたため、行きつけの古書店の主にそれとなく、事情を話し訊いてみた。

店主も、その二人とはTwitterで繋がる仲なので、話が早い。

 

少し解説すると、中年と思しき男性の方はどうも小遣いの殆どを古本に費やし、東に古書市があると聞けば東へ出かけ、西に古書店があると知れば西へ飛んで行く、それがもう小遣いの続く限り休みといえば古本漁り。

当然、戦利品として古書をアップしているので、こちらもそれらを散見できるわけで。

 

今一人の女性は30代主婦。

どういう環境で生活しているのかはよく解らないが、始終、旅行に出かけ、それが観光地巡りではなく、その土地の古書店へ出向くための旅行で、かなり遠方まで出張する。買った本はコンビニで箱詰め、ユーパックで自宅に送り届けるという大名買い。

 

まったく恐れ入りたる所業で、古本趣味の友達がいない私としては、彼らの僕(しもべ)となりてカバン持ちでもしたいぐらいなのだ。

そこでご登場願ったのが、先ほど言った知人の店主というわけで。

 

「あんなに沢山買っておいて読めるんだろうか?」

 

という怪訝な私にたった一言!

 

「いつか読む」

 

そのとき、目から鱗のように総てを悟ったんですね。

古本は一期一会と言われるが、今、ここで買わないと、今度いつご対面出来るか分からないという概念で考えると、確かにあり得る話。

故に、あの時買えばよかったと後悔しないためにも、我が物にしておく。

決して私は溜めるのを趣味としているわけではないが、結果的にこうなってしまった。

更に私に追い打ちをかけた店長の一言。

 

「今現在。90冊ぐらい積読本が溜まっちゃったんだけど」

「そんなん、まだまだ!」

 

昔から狭い家でも楽しい我が家なんて申しておりますが、どうなんでしょうかね。

もう既に、収まるべくはずの空き本棚がないのです。

空席なし、この先、どうなる片づけられない私。

こうなってくると恐いのが地震なんですね。

去年、震度5弱の地震に見舞われたときには驚いたが、もう、大きな地震が来ないように祈るしかありません。

シティ・ライフ ドナルド・バーセルミ

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黄色い顔あの木の根元まで忍び寄ってつぶされるのを防ごう英国ドラマの未来水爆弾チェッカーの場の百合高価なスリル雑誌ささやく結果この表面上気持ちいい散歩通風孔緑の箱婦人たち下品なことばつかいハンカチを口にあててあなたの名前は本に載ってました事業ニュースと天気予報あざができたり切り傷ができたり文章パーティ地帯線の下での爆発連中はイタリアで苦労してきた何かすばらしいものを見たと確信してラジエーターをパルテノンになぞらえてデザインすくんで統計ごまかしブロック投票もし原子の間にそうした親和性がないのであれば愛が出現するのは不可能「より高い」趣味なにか丸太にすわってまちがっていると思ったことに対して抗議かれの左肩に赤ん坊のムチ忘れられかけたできごととんでもない立場エラーのなりゆき布キャンプか法冠比喩的にふるえつつわれわれは何も忘れない。

 

と、どうでしょう!

この本には全く句読点がない。

さらには言葉の羅列で何を言っているのかさっぱり解らぬ。

一体全体、何のための本なのだろうか。

上梓されている以上は、それなりに認められている証だと思うのだが、こんな本は初めて読んだ。

どこを取って引用しても同じことで意味不明。

著者ドナルド・バーセルミをウィキで調べてみるに。

 

パロディやメタフィクションの技法を駆使しつつ、シュールな情景の中に現代の風俗や言葉の断片をコラージュ的に繋ぎ合わせてゆく彼の短編は当時の若者から支持され

 

本書は1970年の作品らしいが、つまりは前衛的なものということだろうか。

いや、ポストモダン文学というものらしい。

何れにしても、私の脳細胞は灰色ではないので着いていけない。 

薄恕一とタニマチ

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1867年1月24日(慶応2年12月19日) - 1956年(昭和31年) 11月7日)

大阪に谷町線という地下鉄が走っているが、途中に谷町四丁目という駅がある。
明治の頃か、この辺りに薄病院なる開業医が居たらしい。
院長、薄恕一(すすき じょいち)は病院内に土俵を設けるほどの好事家で、幕下力士を無断で治療したり、小遣いを与えたりしていた。


今日、相撲の後援者のことを「タニマチ」という名で呼んでいるが、その由来がこの病院のあった場所、即ち谷町に由来している。
最近、読んだ本で知ったが、昔から何故「タニマチ」というのか不思議に思っていたが、やっと溜飲が下がった思いだ。