愛に恋

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老残のたしなみ 日々是上機嫌 佐藤愛子

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私の場合、もし母親を選べるなら佐藤愛子答えるかも知れない。
こんな母親がいたら面白そうだ。
ましてや母方の祖父が佐藤紅緑となればなおさら愉快ではないか。
年齢的に父と釣り合いもとれるし申し分ないのだが、親子となれば何かしら諍いもありそうな性格。
なにしろ気が強い。
何かと言うと戦前の日本人の美徳を持ち出してくる。
いや別に、それらの意見に批判的なわけではないが、どうも信頼しながらも喧嘩が絶えない関係に成り兼ねないと思っている。
 
ともかく、昨今のご時世に反対な意見を沢山持っている。
では、愛子さんはどんな考えを持っているのか?
というと、こんなことを言っている。
 
「恐れ畏む」存在が必要だという。
それ以外に、この沈下を止めることはできないような気がする。
独断を怖れぬ、力ある宗教家が現れてほしい。
今、私は心からそう思っている。
 
謂わんとすることは良く解る。
このような思想は大正生まれという古い世代だからか、若い世代でもみられることなのか?
ところで少し驚いた記述があるので書いておきたい。
私と愛子さんは30年以上の年の差があるが、子供時代の検便をこのように書いている。
 
「検便といっても今みたいに検便用紙を肛門に押し当てればいいってもんじゃない。生のウンコですぞ。生のウンコをばマッチの小箱に入れて学校へ持っていくんですぞ」
 
この方法が以後30数年変わることなく私の世代まで続いてきたわけだ。
当日、あいうえお順に先生に提出する時の恥ずかしさといったらなかった。
好きな女の子もウンコを入れて持ってくるわけだから、それを見ていて複雑な気持ちになったものだ。
 
その検便愛子さんだが90歳過ぎても書きまくっている。
健康そのものではないか。
然し、愛子さんは日頃から病院に殆ど行かず、健康については結構手厳しいことも言っている。
健康法の類から栄養ドリンクまで一切やったことがない。
年を取ると病院通いが唯一の趣味なんていう人がいるが、そんな風にはなりたくないと。
 
以前、日本人は回虫が居なくなったために体が弱くなたという話を聞いたことがあるが、こんなことが書いてある。
 
科学肥料になって回虫はいなくなりましたが、今度はアトピー性皮膚炎などの病気が出て来た。回虫がアレルギーの抗体を抑えていたということが近年分かってきたらしい。だから昔の子供にはアトピーなどはなかった。
 
確かに言われてみれば、子供時代、クラスメイトなど、全校生徒の中でアトピー性皮膚炎に罹っている子供など見たことがない。
まだ幼稚園の頃だったか、お尻の穴から回虫が出てきて親を慌てさせたことがあった。
愛子さんの健康の秘訣は何なのか分からないが、
 
「エネルギーを出し切って生きれば、枯れるように老い、朽ちるように死んでいく、結局、今までその人が、いかに生きて来たかきたのかということが老後なんですよ」
 
と言っている。
確かに老後というのは人生の総決算。
ポイントカードや賞味期限だけに目の色を変えるような晩年にはなりたくない。
余談だが、先日テレビ欄を見ていたら、ある番組の中に、最近流行りの陳腐なフレーズを見つけた。
 
「涙腺崩壊」
 
なんじゃこれ!
佐藤女史はこんな表現はしない。
 
「悲壮感胸臆に満ち、思わず声震えて落涙する」
 

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深夜+1

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内藤陳さんは残念のことに先年、お亡くなりになったが、以前『作家の書斎』という本に載っていた陳さん書斎、どうですか、これが書斎といえるでしょうか?
何れにしても圧巻、よく底が抜けないものだと関心しました
 
陳さんは新宿ゴールデン街に“深夜+1”という日本冒険小説協会公認のバーを経営し、全国の熱心な推理小説マニアを募り、作家が集まる店としても有名だと聞いた私は早速、在り処を調べ電話したものです、そう、まだパソコンなどない時代の話しです。
 
このバーが事務局になっていると知って会員登録をお願いしようと思ったんですね。
会長はもちろん陳さんで、勇んでというか恐る恐る電話を掛けると先方との間でこんな会話のやりとりになりました。
 
「はい、〇〇です」
 
ホステスらしき女性が出て、何やら店名を名乗ったのだが、店内の音楽が喧しくよく聞き取れなかった。
私は、事務局の女性が夜はカウンター・レディも兼ねているのかと思い、こう訊きました。
 
日本冒険小説協会の事務所ですか?」
「えっ、日本冒険小説協会!、違いますけど」
 
電話の向こうでは別のホステスの高笑いが聞こえ、慌てて「すみません」と言って切ったが、電話口から漏れ聞こえてきたホステスの言葉に全く赤っ恥をかいた。
 
日本冒険小説協会ですかだって」
「キャアハハ」
 
私はいったいどこに電話したのだろうか? 

ザ・ビートルズ ♬スージー・パーカー

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ノートルダム大聖堂ガーゴイルですね、横の女性は女優のスージー・パーカーです。

1951年の写真らしいですが、1969年、ビートルズが『スージー・パーカー』という曲を録音している、だがアルバム『レット・イット・ビー』に収録されることはなかった。

せっかくだからジョージの曲『ノット・ギルティ』と共に挿入してほしかった。 


The Beatles at Twick in January 1969

ヘミングウェイのショットガン

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生前、私の父はゲーリー・クーパーの大ファンだったが、そのクーパーが前立腺がんで亡くなったのは1961年5月13日、60歳だった。

クーパーの死にショックを受けたのは父ばかりではなく、キューバ在住で取り分けクーパーと親交の深かったヘミングウェイにとっては精神的にも大きな打撃だったらしい。

二度の飛行機事故で重傷を負いながらも奇跡的に生還したヘミングウェイだったが、遂に力尽きたか同年7月2日、ショットガンで自殺してしまった。

それがこの写真の銃ではないだろうか。

これがいつ撮られたものなのか分からないが、撮った人にしてみれば驚きの1枚になったことだろう。

実にヘミングウェイ61歳の生涯だった。

 

ギラ・ジルカ


スバル レヴォーグ かっこいい洋楽曲CM ドゥービー・ブラザーズ ロング・トレイン・ランニン

ドゥービー・ブラザーズの『ロング・トレイン・ランニン』、それをギラ・ジルカという人が歌っています。

この人、イスラエル人の父と日本の女性の間に生まれた人ですが、美人ですよね!

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あまり知られてはいませんが、MISIA(ミーシャ)のバック・コーラスもやっています。

去年の紅白にもちらっと映っていました。

ソロ・ライブでも活躍中、一度行ってみたいな。 

Elle King ♬Ex's & Oh's


Elle King - Ex's & Oh's (Live at New Year's Rockin Eve)

なんか弾けたい夜がほしい。

鬱勃と九尺二間の裏長屋に閉じ籠って本ばかり読んでいればいいというもんじゃない。

第一、この春の目覚めに解放感がない。

ライブハウスなんか行って騒がしい一夜なんか過ごしてみたいが、名古屋のアポロシアターはまだあるのか?

名古屋駅前のラテン・クォーターはどうなった。

毎晩、洋楽ライブを演っていたが、今でもやっているのか。

青春の後先も考えず、無駄金ばかりを使っていた女ったらし。

今、反省の弁もなく本と向き合う。

 

 

19世紀の巴里


Late 1890s - A Trip Through Paris, France (speed corrected w/ added sound)

冒頭に映っているのがノートルダム寺院だろうか。

しかし、この鮮明な映像は知らない時代の巴里を映し出して興味深い。

車も信号も横断歩道もない。

確か、動く歩道は巴里万博の時に作られたものではなかったか。

彼らは全員、100年後のパリを知らないわけで、これは私たちが100年後のパリや東京を知らないのと同じことになる。

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世界に衝撃を与えたノートルダム寺院の大火災、マクロン大統領は5年で再建するというが果たして可能なのだろうか。

ともかく、多くの美術品を取り出すことができて良かった。