愛に恋

    読んだり・見たり・聴いたり!

血脈 (下)佐藤愛子

 
 
下巻を読み終わって感慨もひとしおだ。
紅緑の死後、不良で手の付けられなかったハチローと妻は、揃ってヒロポン中毒になるが、まさか正五位勲三等瑞宝章を受賞するとは分らぬものだ。
生前、「勲章なんかぶら下げて喜んでいる奴はインポだ」とほざいていたハチローがである。
しかし、弟子の菊田一夫が死んで、号泣したハチローも後を追うようにして逝ってしまった。
 
下巻では隆盛を誇った、さしもの佐藤家も悉く死に絶え、残ったのは愛子を含め3人だけ。
紅緑の娘が未だ矍鑠として健筆を奮っているが、燃え盛る佐藤家の物語は広く世に広めたいものだ。
ハチローにはこんな詩がある。
 
「かァさんの手紙を読みました」
   
かァさんの手紙を読みました
あて字ばかりの手紙です

「からだを大事になさいね」が
ずらりずらりとならんでいました

返事は出さないことにきめました
又「からだを大事にね」が
ならんでくるからです
 
しかし、ハチローの作る詩は空想の産物で、実際には実母との関係は良くなかった。
では泉のように湧き出る、あの才能は何だったのだろうか。
ハチロー、愛子、そして庶子として生まれた真田与四男は大垣肇というペンネームで劇作家になりそれぞれ大成した。
これも文壇二大老と言わしめた紅緑の血を受け継いでのことなのか。
終りにあたって、是非にもこの一説は引用しておきたい。
 
紅緑、ハチロー、そしてその血を引く佐藤家の者たちはどうにもならぬ力に押されてまわりを苦しめつつ、自分の胸の奥に人知れず苦しい涙壺を抱えていた。書き終わったとき、私の中には、この始末に負えない血に引きずられて苦しんで死んで行った私の一族への何ともいえない辛い哀しい愛が湧き出ていた。

この稀にみる一族の壮絶な人生を読んで、連綿と続く我が家系を遡ることが出来たなら、さぞかし痛快であろうと思うのだが、親戚は殆ど鬼籍に入った。
げに、降る雪や明治 は遠くなりにけり
 
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あなたに今夜はワインをふりかけ

今でもはっきり思い出すことが出来る。
あれは昭和42年の夏、愛知県の野間海水浴場でのこと、少し離れた海の家から聴き慣れない音楽が流れてきた。
そう、グループサウンズの全盛期に入ろうという時ですね。
流れてきたのはザ・タイガースの『シーサイド・バウンド』でした。
歌っていたのは沢田研二ことジュリー、貴方ですよ。
それからというもの、本当によくGSの歌を聴いたものです。
 
しかし、今にして思えば、GSの消滅はずいぶんと呆気ないものでしたね。
その後、貴方は萩原健一らと組んでPYGを結成しましたよね。
行ったんですよ私、昭和46年の夏、貴方たちは今は無き中日球場で野外コンサートをしましたよね。
私はサード当たりの席で貴方を見ました。
暑い日でしたね、私たちは男3人、女2人で見ていましたよ。
覚えていますか、懐かしい話ですよね。
私もまだ若かった。
 
だけど、どうしたんですか、PYGは一年も持たず解散、そしてソロになったんですよね。
思えば、今日まで半世紀以上の月日が流れたことになります。
あなた方先輩が頑張っているから私どももこうやって生きていられるようなものです。
歌番組全盛だったあの頃、貴方をテレビで見ない日はないというぐらい、文字通り貴方はトップスターでした。
 
そんな貴方を最後に見たのはBSでやっていた吉田拓郎司会の番組です。
ゲストに貴方が出て、なんと拓郎の夢はジュリーのバックで演奏することだったとか。
お二人のツーショットは初めて見ましたが、ならば今こそ夢を叶える時と期待したはいいが、奥手なのかどうか拓郎との共演はなし。
何やってんのってなもんです。
これを逃したらもう二度とないよと思いつつ番組は終了。
まったくもー。
 
以来、貴方のことは昨日まで忘れていました。
埼玉アリーナ、ドタキャンという話じゃないですか。
9,000人と聞いていたのに7,000人しか来ないと!
で、開場数十分前に、貴方は席を蹴って帰ってしまった!
やるねぇー。
 
しかし、どうなんでしょうか?
何でも損害額は4,000万円以上になるとの話ではないですか。
ネット上ではいろいろ批判的なことが書かれていましたが、今はどう思っていますか。
来場者は無論、埼玉県人だけではありませんよね。
新幹線で来ているファン、或いはホテルを予約している人もいるかも知れません。
それに、会場まで来て、突然中止と言われた日にゃ、たまったもんじゃあいませんよ旦那。
 
まあ、貴方も意地というものがあるということですから、とやかく言いませんが、しかし、4,000万は高くついたんじゃありませんか。
確かに約束より2,000人少なかった、それで腹が立った、だけど、7,000でもいいからやってしまった方が良かったようにも思いますが。
三方一両損というわけにはいきませんかね。
まあ、いいや、少し短気なところがあるように昔から思っていましたが、今後とも頑張って下さいねよ。
 
ところで旦那、タイガース時代には貴方の歌唱力なんてどうとも思っていませんでしたが、この曲を聴いて以来、認識を改めました。
上手いですねジュリー!
だけど昨日の貴方を見たら、失礼ながら一瞬、カーネル・サンダースかと思ってしまいましたが、あれは、あれで宜しいんですか、ギャグじゃないですよね。
 
では、今日の1曲、沢田研二で ♪あなたに今夜はワインをふりかけ

 


沢田研二 あなたに今夜はワインをふりかけ 1978

血脈 (中) 佐藤愛子

 
大河ドラマの中盤、佐藤家の行く末はと読み進めたが、休まる閑もなく紅緑とシナの苦悩は続く。
前編では四男の久が情死したところで終わったが、大東亜戦が始まり三男の弥(わたる)が徴兵で兵隊に取られフィリピンで戦死。
二男の節(たかし)が広島の旅館で愛人と就寝中、原爆でやられ帰らぬ人に。
 
長男八郎は戦後歌謡を象徴する『りんごの唄』の大ヒットで今や売れっ子作家。
ハチローの隆盛とは裏腹に、紅緑の才能は枯渇して老境の域に達し、日々、病の苦悩を訴えシナを苦しめる。
 
シナの長女早苗、次女愛子もそれぞれ所帯を持ち、子宝に恵まれたが、愛子の夫悟(さとる)がモルヒネ中毒に罹り、全てに嫌気が差した愛子は2人の子を置いて家を出る。
妻妾同居状態だったハチローの妻るり子が急死。
妾の蘭子がハチロー三番目の正妻となり、紅緑は昭和19年を振り返って日記に記す。
 
過去は煙の如く薄らぎ行きて近き頃の事件のみ記憶に残るためかも知れず、又老いぬれば安らかに残念を暮らさんと思いし望みが外れて益々煩瑣が加わるがためか、但しは若き時には大難小難を排して猛進する勇あるが故に意に介せざれども老後は其の煩に堪うる力なきがためか、范石湖は新年の書懐に「老境増年是減年」といい方狄厓は「不知最後屠蘇酒、増一年頼減」といいしは余りに悲観的にして面白からざるも我が老を知るものの淋しさは尤もなりというべし
 
紅緑は若き頃より漢籍に馴染んだが故に難しい文章を書く。
范石湖の新年の書懐、「老境増年是減年」はどう訳したらよい?
老境に達し、1年歳を取るごとに残りの人生が1年減っていく、とでも訳すか。
方狄厓の「不知最後屠蘇酒、増一年頼減」はどうか。
これが最後の屠蘇、酒となるやも知れず、年を経る毎に頼る者も減っていく、というところか。
 
嘗て才気横溢して精力漲っていた紅緑の面影はなく、ただ身体の不調を訴えるだけの夫に、今更ながら自分の人生とは何だったかとシナは問う。
紅緑は書く。
 
俗歌に待たるる身になるとも待つ身になるなというあり。死ぬる身になるとも残る身にはなるなとも言い得べしや。壮年の時には気付かざりしも、老いて初めて骨肉親朋のために長命すべく自愛せざるべからざる責任あるを知れり。哭泣の声を地下に聞く事は堪えられぬ苦痛ならん
 
紅緑は20歳の時、女千人斬りを目指すと公言し決起盛んなれども、今や老残の身を晒し頼るべき知人友人には先立たれ、果てしなく続いた怨嗟の生活が今、終わろうとしている様を、シナの立場から書く佐藤愛子の無常観漂う文章には心惹かれた。
昭和24年6月3日、佐藤紅緑は74年の人生に幕を閉じる。
下巻では死する者あれば生まれる者ありの佐藤家の苦悩が更に続くようで興味は尽きない。
 
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Tom Waits Ol '55

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ちょっと、ちょっと、お二人さん、どこ触っているの。

見れば、トム・ウェイツベッド・ミドラーじゃありませんか。

アナタたちはそういう関係だったんですか?

いいんですかね、そんなことしても。

 

お互いに恋人がいたんじゃなかったかと思うんですけど。

まあ、男と女、触りたい気持ちは分らぬでもないですが、そう人前でイチャイチャされるとね、こっちも変な気持ちになってくるんですよ。

本当に大丈夫なんですか、ベッド・ミドラーというぐらいですから、どっかのベッドの上でおやりなさいな。

まあ、余計なお世話ですけど。

 

それでは今日の1曲、写真の男、トム・ウェイツが歌いますOl '55 (オール55)。

いい曲です!


Tom Waits Ol '55

 

血脈 (上) 佐藤愛子

 
今日、佐藤紅緑(こうろく)とい名前を耳にすることはあまりない。
大衆小説作家として文壇から軽視されてきたのがその遠因かと思うが、本名は洽六と書く。
『あゝ玉杯に花うけて』の著者として名を留めているが、昭和初期、少年小説の第一人者として、圧倒的な支持を受け、後に詩人として大成する佐藤惣之助の師匠でもある。
だが、紅緑の波乱に満ちた人生こそは、芸術作品に値するもので、サトウハチロー佐藤愛子、大垣肇と、それぞれ腹違いで産ませ、八郎は正妻、愛子は後妻、肇は妾、正妻のハルは9人の子を産み、内5人が夭折で残ったのは男児ばかり、妾のいねは一人、後妻のシナには3人産ませている。
 
シナが現れる以前、紅緑の茗荷谷の家には姉が二人の子供を連れて居候、他に数人の女中と書生や食客、一体何人がこの家に住んでいるのか誰も分からない状態だった。
後妻となった横田シナが現れたのは大正四年、大阪から女優志望として紅緑を頼って邸を訪ねて来た。
佐藤家崩壊の発端は将にその日から始まる。
紅緑は新聞小説を書かせれば当代随一で自ら旗揚げした劇団を持ち、シナを三笠万里子としてデビューさせる。
 
連日、住み込みで稽古で顔を合わせるうち、いつしか紅緑はシナに心を奪われ、シナ無くしては生きられない因果を含まれてしまった。
家庭は崩壊し次々に問題を起こす4人の道楽息子に引きずられ、尚且つシナの女優としての夢も適えてやりつつ紅緑は書きに書く。
 
その娘たる佐藤愛子が書いた『血脈』が発売されたのが平成13年1月。
執筆に12年の歳月が懸かったそうな。
出版当初から興味を引き、いつかは読みたいと思っていたが、なにせ長い大河小説で優に2000ページはある。
昔は平気で4000~5000ページぐらいの本でも読んでいたが、しかし流石にここに来て2000ページはやや長い。
読む前には他の人の感想なども一応目を通したが。
 
・息苦しくなる
・体力がいいときじゃないと読めない
・恐ろしい
・疲れた
・キツイ
 
と様々な意見。
しかし読者は結末に向かって引きずられていくのもこの本の醍醐味。
佐藤愛子氏は本書で菊池寛賞を受賞している。
 
読んでみると確かに面白い、4人のドラ息子たちが仕出かす尻拭い。
湯水のように金を仕送る紅緑。
妻を捨て妾を捨て、シナ一筋に賭けた波乱の人生。
息子たちは父に似て不良で女好き。
一人としてまともな奴がいない。
 
警察沙汰、自殺未遂、借金の踏み倒し、結婚離婚と紅緑は休む暇もなく家族の為に書く。
それもこれも身から出た錆。
著名人の家系ではまたと無い因果応報の血脈。
本書は痛快にして妙、これほど面白い小説は近年読んだことがない。
 
何と言っても比喩の素晴らしさと語彙の豊富さ。
そして冷静な観察力と会話の上手さ。
生まれる以前の佐藤家のあらましを見てきたような筆致で表し、時にユーモラスな文章には何度も笑わされた。
女流文学者にして猥雑な単語も平気で出てくる。
上巻では八郎がサトウハチローとして大成し、飛ぶ鳥を落とす勢いの作家となるも、妻子を残し他の女と同棲、放蕩を繰り返す。
四男久が仙台で女と情死したが、一人、女は助かり19歳の久だけが旅立ったところで上巻は終わる。
 
中巻では果たしてどんなドラマが待っていることやら。
いやはや、先はまだまだ長い(汗
余談だが、紅緑のように明治生まれで漢学の素養のある人の文章は簡潔にして流麗、読んでいて気持ちがいい。
 
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グレタ・ガルボ 1905年9月18日 - 1990年4月15日 (84歳)

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ガルボさん、その湖のように深い、神秘的な眼差しで見つめられるにはどうしたらいいのでしょうか。

貴女を見ていると、まるで蛇に睨まれたカエルのようになってしまうのです。

映画の中の恋が作話なら、私と命懸けの恋をしてみませんか。
ガルボさん、私は本気です。
貴女となら何処へでも行けるような気がします。
なんなら、スウェーデン性教育を受け直してもいいです。
全て貴女のために。
ガルボさん、貴女ほどの人嫌いな女優さんもいないでしょう。
「私は一人でいたい。ただ一人でいたいだけ」
という『グランド・ホテル』の台詞は貴女の本心なんですね。
あれから、長い月日が経ちました。
もし寂しい生活を送っているようでしたら、御一報下さい。
待ち合わせは当然、グランド・ホテルですよね。
直ぐ、馳せ参じますので、では、その日が来るのを願って失礼します。

夜のミッキー・マウス 谷川俊太郎

 
詩というものは、その時に作家の内面に勃興した閃きや懊悩を活写するようなものだから、場合によっては本人以外、理解し得ない事柄や比喩が多々ある。
あまりに写実的でないが故に、その飛躍に着いて行けない場合、一行読むごとに失念していくようで、読んでいる意味合いがどこにあるのかさえ分からなくなる。
 
読解力がないと言われればそれまでだが、やはり詩歌には相性というものもありはしないかと、独りぽつねんと考えたりする。
多くの子供を虜にしたであろう鉄腕アトム、あの主題歌の作詞者が谷川俊太郎だった。
この詩集の中にある「百三歳になったアトム」でこんな条がある。
 
いつだったかピーターパンに会ったときに言われた
きみはおちんちんがないんだって?
それって魂みたいなもの
 
なるほどね、アトムにはおちんちんがなかったんだ!
この50年ぐらい考えたことがなかった。
 
しかしそれ以上に面食らったのは「なんでもおまんこ」「ああ」という詩。
どちらもエロティックなニュアンスを前面に押し出しているが、さすがに活字でこうまであっさり「おまんこ」と言われてしまうと、誰でも慣らされてしまうのだろうか。
ここでいう「おまんこ」とは女性器のアレではない。
あらゆる自然をおまんこに譬えているようなものだろう。
太陽にしろお花畑にしろ、生きている実感を味わうことの素晴らしさということではないのだろうか。
しかし、何しろ、谷川さんのあの顔で「おまんこ」なんて言われるからビックリしてしまうわけで。
 
「この詩で何が言いたいのですか」
 
と、よく訊かれるらしい。
実は私も同じような疑問を持ってしまう詩がいくつもあるが、谷川さん、答えて曰く、
 
私は詩では何かを言いたくないから、私はただ詩をそこに存在させたいだけだから。
 
と言っている。
一番いいと思った作品『あのひとが来て』を、波多野睦美さんという人が歌にしてCD録音しているらしい。
 
あのひとのかたわらでいつまでも終わらない音楽を聞いた
 
目の付け所が一緒だ。
 
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