愛に恋

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ハリス 日本滞在記

 
先日、古書店で見つけた『ハリス 日本滞在記』、ハリスが日記を付けていたことは何かで読んだことがあるが、岩波文庫から出ているとは知らなかった。
上・中・下巻で3千円もするが出会ってしまっては買うしかないと諦めた。
3巻で約900頁、註釈付きでやたら字が小さい。
読み切れるのか、おい!
 
以前、ハリスの通訳として来日していたヒュースケンの日記は読んだが、はてさて、気合を入れて読破を目指すか。
 
ところで、この本、現在は絶版だと思うが奥付を見ると、初版が1953年11月5日。
私が買ったものは1997年9月5日、第10刷とある。
20年前のものだが先代の持ち主はどんな人だったのだろうか気になる。
いずれにしても貴重な本だ。
我が家の書庫に入ることは嬉しい。
 
 
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風草の道 橋廻り同心・平七郎控 藤原緋沙子

私にとって歴史小説作家と言えば司馬遼太郎吉村昭海音寺潮五郎で、時代小説作家は山本周五郎池波正太郎藤沢周平というところか。
テレビ、映画を問わず時代劇は昔から好きで『必殺仕事人』『大岡越前』『遠山の金さん』『鬼平犯科帳』などをよく見ていた。
 
時に人情話しで、ほろりとくる場面などあるのでつい見てしまう。
時代劇は一話完結が味噌、とにかく筋だけ追って行けば事足りる。
しかし、感動した話しであっても、その日のタイトルなどまず覚えていないものだ。
例えば寅さんシリーズの場合、タイトルではなくマドンナが誰かということからストーリーを思い出す。
故にシリーズ化された捕物帳や探偵ものなどは、読む先から内容を忘れてしまうことが多い、
 
私にとっては、その典型とも言える作家が西村京太郎、だから読まない。
がしかし、西村京太郎、藤沢周平、そして藤原緋沙子なる捕物帳を旨としている時代小説作家に、どっぷり浸っているお婆ちゃんがいる。
齢80歳にもなる、我が友人の御母堂だ。
と言っても、私とは一面識もない御仁。
 
友人の話しを聞くに、お年寄りには珍しく友達付き合いが嫌い、憩いの場所は自宅のリビング、厭きることなく、ひねもす一日、指定席で『相棒』や『サスペンスドラマ』を倦むことなく鑑賞し、その合間に読書に勤しむ。
外出は専らスーパー、図書館、病院が関の山で、まるで狛犬のように静かに暮らす。
御母堂にとって安寧とは変化のない生活のことなのかも知れない。
 
そんなある日のこと、友人が帰宅してみると、その日に限って夕飯の支度を忘れていたと、事も無げに話したとか。
 
「如何致した」
 
と訊くに御母堂曰く
 
「本があまりにも面白く、つい、夕餉の時刻も顧みず読書に没入してた」
 
と返答。
それを聞いた私、俄然、御母堂をしてそれほどまでに没入せしめた本とは、誰の如何なる本かと興味が勘考、早速、友人に問い合わせ、御母堂に訊き奉り、連絡を待つこと暫し。
 
その作品が即ちこれ、藤原緋沙子『橋廻り同心・平七郎控』というシリーズ物で、早速、近くの古本屋に出向き目的の品をゲット。
一読するに・・・!
まず、御母堂にとっては読書は飽く迄も娯楽。
泰然自若、3日に1冊の割合で読了していくらしい。
日没、夕飯の支度も忘れるほどの集中力は私にとって羨ましい限り。
今後とも読書に勤しむ毎日を送ってほしいと部外者ながら応援したいと思っている。
 
がしかし、藤原緋沙子なる作家の経歴を調べるに、どうも受賞歴は何もなさそうで、更には年間を通じて何冊も本を上梓しているようだが、このような量産体制で、いい作品が書けるのだろうかと心配してしまうが、要らぬお世話か。
だが、事の序に気になったところをいくつか指摘しておきたいと思うが悪しからず。
内容は「龍の涙」と「風草の道」の二話構成。
どちらかと言えば「風草の道」の方が面白い。
ちょっとした母子の人情話でラストに近い場面に、
 
「どこかで生きていてくれる、あたしはそれだけで生きられます。お願い、きっと逃げてね、鹿之助さん」
 
お涙頂戴の場面は、まあ、それなりにいい。
しかし、全体的には会話に問題あり。
例えば描写のくだりで、
 
父の同心としての姿勢に脱帽している
 
とあるが「脱帽」などという単語が江戸時代にあっただろうか?
編み笠、菅笠、頬かむり、頭巾、御高祖頭巾ならともかく「帽子」というものが存在しない以上「脱帽」という単語は無いものだと察するが。
また、同心平七郎が夕刻から、お勤めで出かけるにあたって母は以下のように言う。
 
「こんな時間からお出かけですか」
 
うむ・・・、どうだろう、ここは、
 
「こんな刻限からお勤めがあるのですか」
 
と訊いたほうがいいような。
では、これはどうか。
 
駕籠屋にひとこと、ふたこと言い、財布から駕籠賃を払っている。
 
ここは「財布から」ではなく「巾着から」または「紙入れから」の方がそれらしいと思うのだが。
 
更に盗人の会話では、
 
「決まっているじゃねえか、金だよ、金」
 
盗人家業の場合はやはり、「銭だよ、銭」がよい。
さらに駄目押しは、女中が同心に話した会話の中にで口止めのことを
 
「箝口令敷かれたのでしょう」
 
これはどうかな・・・?
時代劇を見ていて女中が箝口令などという言葉を使った場面を見たことがないし、武家の間でも当時はそんなことは言わないと思うが。
ちょっと厳しい指摘だが、だからと言って御母堂の趣味にケチなど付けるものではないことは御了承願いたい。
ただ、時代小説作家としては武家言葉、町人言葉に対し厳格であってほしいという願望を披歴したまでのこと。
 
とにかく、江戸期の武家言葉は美しく。
 
「亭主、長居をしてしまった上に、えらく馳走になり相済まぬことをした、許せ」「何を仰いますやら長谷川様、また近くにお越しの上はどうぞご遠慮なくいつでも、お寄り下さいませ。落ちぶれたりと雖もこの与平、長谷川様のお口に合うよう、いつなんなりとも上物をお出し出来るよう、腕に撚りをかけてお待ち申しておりやす」
 
なんてね。

檀 沢木耕太郎

昭和51年『火宅の人』がベストセラーになっていた頃の事をよく記憶している。

しかし、この小説が出るまで檀一雄という作家のことは知らなかったと思う。
私はまだ若く、明治生まれの作家が次々に世を去る瞬間を無為に過ごしていた。
『火宅の人』は完成まで実に14年の歳月がかかったそうだ。
肺癌に苦しみ、死の床にあった檀一雄、最期の作品となった。
緒方拳主演で制作された映画は私の好きな作品でもある。
 
ところで、この『檀』という本は実に不思議な形態で書かれている。
作者が檀夫人に取材し、作品化されているが、書いているのは沢木耕太郎だが、語っているのは夫人のような形式を取っている。
読み手のこちらは、いつしか夫人の回想録を読んでいるような錯覚を覚えたまま物語は進行していく。
 
息子次郎の日本脳炎と舞台女優、入江杏子との浮気に苦しめられる夫人。
そして、昭和31年8月7日、夫からこんなことを切り出される。
 
「僕はヒーさんと事を起こしたからね」
 
と、敢えて浮気を公言するとはこれ如何に。
ヒーさんとは入江杏子の呼び名。
更に、普通なら内緒にしておくはずの浮気を小説として世に送り出すという暴挙。
流石に無頼派らしい振舞いに、周りは面白いだろうが家族としては大迷惑な話しだ。
 
傷ついた夫人は5人の子供を残し、一度は家を出たものの、直ぐさま舞い戻る。
理由として、どうしても夫のことを嫌いになれなかったと。
つまり、檀が常日頃戒めていた事柄。
猥談、陰口、悪口、非難がましいことは決して口にしなかったことなどを挙げている。
檀本人は入江杏子と同棲、それでも二人は離婚に踏み切らなかった。
 
話しは逸れるが、一体、檀一雄はどのような気持ちで後半生を生きて来たのか、一度問い質したいところだ。
中原中也太宰治坂口安吾ら友人を次々に亡くし、書店に行けば彼等の作品が書棚に並び、そういう事は、一般人にはあり得ない体験だけに興味が湧く。
または孤独を嫌いながらも放浪癖が抜けきれなかった生活。
健康であることを自負し、こんな威勢のいい啖呵も切っていた。
 
「諸君はやがて、80歳の破滅派を見るであろう」
 
しかし、病は確実に檀の体を蝕み、最初の兆候はめまいから始まる。
そして鼻血、体重の激減、下半身に紫の斑点、更に血尿にも悩まされるが、そんな体調不良をよそに昭和45年10月、火宅の人、未完成のまま渡欧。
ポルトガルサンタ・クルスが痛く気に入り、一人棲み付いてしまう。
やっとの帰国は47年2月2日。
特段、流行作家でもない檀の懐事情が気になるところだが。
 
翌48年の春、健康回復を祈願して佐賀唐津の断食道場に入るが快癒には至らず、知人別荘がある博多沖合の能古島に49年夏移り住む。
井上陽水の『能古島の片思い』で有名な島だ。
結局、ここが終の棲家になった。
 
檀一雄は決して病院に行かなかったわけではない。
検査もそれなりにしていた。
当初、肝臓に疑念を抱いていたが結果は肺癌だった。
それを聞いた夫人は。
 
私は泣いた。こんなに泣いたことはないというほど泣いた。
 
最晩年、病床での苦しみは酷く辛いものだったとある。
浮気、別居、それでも檀から離れず最期をを看取った夫人。
無頼派作家の妻となることが宿命だったのか。
因みに檀夫妻はどちらもバツイチ。

ノモンハン秘史 新書版 辻政信

昭和陸軍に無数に存在したはずの将校団で、今日、その名を世に知らしめている軍人は意外と少ない。
東條大将を除けば、石原高級参謀と辻参謀の名は戦史に刻まれ永久に語られる人物として名高いものがあろう。
今回読んだ本の著者は、関東軍時代の辻政信が少佐時代に体験した、あのノモンハン事件を書いているが、さすがにあまり理解出来なかった。
藤田嗣治の作品に『哈爾哈(ハルハ)河畔之戦闘』という絵があるが、その最前線に立っていたのが辻政信だ。
作戦の神様と言われた辻参謀に対する私のイメージはあまりよくないのだが、一読した結果、評価が変わったかと言われれば、やはり分らないというしかない。
今回の本には直接関係はないが、その後の辻参謀の経歴を見て思うのは常に独断専行の態度が頭から離れないが果たして私の間違いなのであろうか。
マレー作戦、フィリピン、ポートモレスビーガダルカナルビルマ戦線と辻の行く所、常に膨大な死者が出る。
 ともあれ、ノモンハン事件である。
通説では圧倒的に優れたソ連の機械化部隊と戦った日本軍は、貧弱な装備ゆえに肉弾攻撃を挑み、前代未聞の敗退を重ねたように言われ関東軍の中にも責任をとって自決した将校が何人か出たということを漏れ聞いているが、どうも最近の調査では実情は違うという説もあるらしい。
例えばこういう数字がある。
 
ソ連軍死傷者 25,565名
日本軍死傷者 17,405名
 
ソ連軍の進んだ機械化部隊というものも嘘。
実は走行射撃も出来ない低レベルで、日本軍の高性能の連射砲、高射砲の標的になりソ連戦車の損害は800台、日本戦車は29台とあるが本当だろうか。
写真でみる限り、日本軍戦車はタンクという名に相応しく砲塔も短く威力もなさそうなのだが実は違うのか。
事件が起こった昭和14年5月13日、辻はこんなことを書いている。
 幕僚中誰一人ノモンハンの地名を知っているものはいない。眼を皿のようにし、拡大鏡を以って、ハイラル南方外蒙との境界付近で、漸くノモンハンの地名をさがし出した。おそらく蒙古民族の牧草集落であろう。
とにかく一面、牧草地帯で見渡す限り遮蔽物のない大地。
飲料水に乏しく、気温の寒暖差が凄まじい場所らしいが、私も一度、ノモンハンを扱った番組でその場所を見たことがあるが、何しろ隠れるところがない。
更に読み手の私としては全く地理的なことが分らないので、やはりこの手の本は作戦参加者、または研究者向きの本だということはよく分った。
分らないながらも読み進めていくと、どうやら国境線の定まらないモンゴルと満州に於いて頻繁に続発するソ連軍の越境事件に対し関東軍は、その本拠地となっている相手方の空軍基地など本格的に叩いておきたい意志があるようで、それに対し東京の参謀本部との齟齬が原因でかなり関東軍参謀は激情に駆られている。
この時期、盛んに言われた関東軍の独立問題とはこの頃の事を指すのだろうか。
7月になるとソ連軍は戦備を全正面に強化、ここに至って関東軍は遂にソ連軍と全面戦争を覚悟したようで総長、大臣宛に関東軍司令官の名で電報が打たれた。
 
一、情勢に鑑み軍は満州防衛の完璧を期すため、全満に戦時防空を下令し、且隷下全部隊に応急派兵を下令す
 
ニ、敵の跳梁をこのまま看過するときは更に満州国の中枢部に対し爆撃を受くるの虞れなきに非ず。軍が単に越境敵機のみを迎撃する結果、此の如く軽侮せるるに至れり。即時外蒙内部に対する爆撃を許可されたし。
 
これに対する参謀本部の答えは。
 
本事件の処理の方針たる局地解決の主義に照し、隠忍すべく、且隠忍し得るものと考えあり。
 
つまり、参謀本部は何があっても挑発にのらず、あくまでも局地的に解決すべしという方針で、それに対し関東軍は、そのような弱腰だから、いつまでも際限なく国境問題など解決しないのだと業を煮やしている。
更に連日の激戦で多くの死傷者を出し、このままおめおめと引き下がれるかという興奮が読み取れる。
辻参謀は書く。
 
かくて中央部と出先、東京と新京とは、到底融和一致して事件を処理する曙光さえ見出し得なくなった。
 
関東軍の総意は以下のようなもの。
 
ノモンハン事件の処理に当たっては越境したソ連軍に徹底的打撃を与えることが肝要で、これによって初めて対ソ紛争不拡大を期し得るものである。もしこの事件で軟弱な態度を示したならば戦面は拡大するであろう。
 
しかし、敵機本拠地を急襲したいと具申するも相手にされず。
その後、独ソ不可侵条約の提携により平沼内閣は総辞職。
日本にとっては寝耳に水の独ソ接近だった。
替わって登場した陸軍大将阿部信行内閣の誕生は昭和14年8月30日。
第二次大戦が差し迫っている。
日ソ間では停戦協定が結ばれ、陸軍の伝統的仮想敵国であったソ連に対しての北進論が弱まり海軍に引き摺られるように南進論が台頭。
運命の岐路でしたね。
大戦勃発、独ソ戦真珠湾、今でもよく言われることだが、もしあの時、北進論が優勢なら大戦の推移は大きく変わったことだろう。

阪神 夏の古書ノ市

 
今年も行って来ました、梅田の『阪神 夏の古書ノ市』へ。
毎度のことながら腰痛を抱え会場をくまなく見るのはやや辛いが、これも趣味の一環ゆえ、致し方ない。
 
 
 
素早く、短時間で読みたい本を探し出し、そそくさと帰ってきました。
あまり積読本を溜めたくないので今回は上記の三冊。
 
『ルイズ 父に貰いし名は』 松下竜一
探していた本でルイズの父とは大杉栄
近年、この本の存在を知りいつか読まねばと思っていたが、やっと巡り合った。
 
『幕末維新懐古談』 高村光雲
光太郎の父ですね。
岩波の青版、気が重いけど読むしかない。
 
『太平洋航海記』 キャプテン・クック
クック船長の文字通り航海記です。
まったく、積読本は咳毒本と書きたいね!
 
 
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ケス 鷹と少年 バリー・ハインズ

 
時に外国文学というのは、いくら絶賛されていても、どうした訳か私には何ら響かないことが多々ある。
偏に、読み手の私の技量不足と諦めているのだが、今回の本、1968年に出版されるとたちまちベストセラーになり、翌年に映画化され、これまた大評判になったとあるのだが、何がそんなにいいのかさっぱり解らなかった。
 
ケスとは少年が鷹に付けた名前だが、表紙の写真、鷹を見る少年の瞳があまりのも純粋だったので読んでみたのだが思うように感動が得られなかった。
鷹を如何にして調教するか、その辺を重点的に書いて欲しかったというのが私の感想か。
 
 
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